2025(令和7年)「やすらぎ修行会」プチ法話 第175回
成就院のすぐ近くに「中国帰国者支援交流センター」があることを知り、日本語の授業に参加してきました。「何歳ですか」から始まり、「神社とお寺の違い」「お坊さんの一日のスケジュールは」「小乗仏教と大乗仏教の違い」など質問が浴びせられました。皆さん日本語はあまり理解できない模様。黒板に漢字を書きながら回答し、先生から中国語で補足も頂きましたが…。難しいですね。 子どもの頃、第二次世界大戦の後、日本へ帰る機会を失い中国で暮らしてきた「中国残留孤児」の帰国事業が大々的に報じられました。新聞には一面をさき、顔写真の下に住まう場所や親を探す手がかりが記され、ニュースでは親兄弟と肩を抱き喜び合う再会シーンが度々流れました。 彼らは、幼少時には「日本人」と侮られ、日本に来てからは「中国人」と揶揄される。日本で住むという決断をしたものの、異国の地では、習慣も、価値感も、何より言葉が違う。「孤立」を感じながらも助け合って生き抜いてきました。私がお会いした方々は、皆さんとても明るくパワフルでした。 「中国残留孤児」は「日本人」。では片親が中国人の場合その子は「日本人」「中国人」?。孫は?そう考えると、当たり前に使っている「日本人」という概念は、かなり曖昧なものだと気づきます。 昨今、「排除」の空気がより濃くなってきています。 「○○人」とラベルを貼るのではなく、「△△さん」という固有の存在としてお付き合いしたいですね。 授業の最後には、教室中に「北国の春」が愛唱されました。皆さんに一番知られている歌だそう。きっと、故郷のなつかしい風景を思い浮かべながら歌っているのでしょうか。