第178回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/3/21
気仙に通うようになった頃、こんなお話しを伺いました。「大きな地震の後、津波が来ると高台の方へ必死に逃げたの。JRの線路に上って私は右に逃げたから助かった。その時左に逃げた高田高校水泳部の生徒や先生は津波にさらわれて…いったい生死の境目とは何なのでしょうか」と。
気仙三十三観音徒歩巡礼を始めて14年、もっと地元の方に霊場を知ってほしい。お世話になった皆さまにお礼の思いを伝えたい。観音さまから頂いた御功徳をお伝えしたい。そんな思いから地元誌「東海新報」に毎週1200字のエッセイを連載することにしました。観音霊場との出会い、霊場の踏査、仏像の修復、マップの作成、御堂の再建などなど。今週で54回を重ねました。
中でどうしても書きたいことが。それは普門寺墓地奥に造られた身元不明者のお墓について。石板には「矢作小」などの遺体安置所の場所とともに「No○○」という番号が刻まれています。その数14基。同行の方から 「彼岸やお盆の時、周囲のお墓には花や線香が手向けられているのに、そこはひっそり寂しい。ぜひ読経をしてほしい」とのお話しがあり、毎度立ち寄ることになりました。
そのエッセイを高田高校水泳部顧問のお母様が読んでくれました。「私達にとってはありがたく鼻の奥がツーンと、、、そして胸がジーンと熱くなりました。普門寺参道の堂々とした美しい佇まいにどれほど助けられたか…。今でも普門寺墓所にある慰霊碑と身元不明者の墓標で手を合わせるーそんな15年を過ごしています。あの場所がある意味娘に一番近い場所、そこから望む広田湾も優しく〜ホッとする場所です。ありがとうございました🙏💕」ありがたいメッセージが届きました。
思い続け体を動かし続けると思いが届くこともある。「縁起は思ひ難し」を実感した瞬間でした。