2012(平成24)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第9回~第20回

 第九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/1/21    

 クリスマスで街がきらびやかなちょうどそのとき、炊き出しの会のメンバーと共に、石巻と大船渡に赴き、仮設住宅の談話室で、茶話会を行ってきました。

 お年寄りはハーブティーを飲みながらソプラノ歌手の歌を聴き、子どもたちはゲームをし、がやがやと賑わっていました。突然、玄関にいた私の前におじさんが現れたかと思うと、大声で怒鳴り始めました。初め何が起きたのかとまどいましたが、やがて「坊主のくせにクリスマス会などやるのはおかしい」と言っているのが分かりました。メンバーの一人が表でゆっくり話を聞いたところ、職もなかなか見つからずイライラしていた、申し訳なかった、と謝罪してくれ、和やかにお茶を飲んで帰られました。

 最終日、大船渡の港近くにオープンした屋台村に行ったときのことです。かなり酔っぱらった20代前半の若者グループが店に入った我々を見て、「あいつら、ボランティアじゃねーか」と聞こえよがしに話し、射るような視線を浴びせかけてきました。それからしばらくは、こちらをちらちら見ては、何やら話していました。

  彼らを批判するのはたやすい。しかし、「職がある人/職のない人」、「明日にココを離れていく人/ずっとココで暮らしていく人」という区別が目の前に歴然としてあるということに気づかされました。

 最近、被災地支援の話となると、被災者に「寄り添う」ことが重要であるとよく聞きます。でも、「寄り添う」とは難しいことですね。彼らの怒鳴り声に耳を傾けること、彼らの視線を受け止めること、それらも含めて「寄り添う」ということなのですから。 

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第十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/2/21        

 昨年秋に、中学生二人が「職場体験」で成就院を訪れ、3日の間、一生懸命、そうじ、くさむしりなどをしてくれました。すべてが終わりお茶を飲んでいるときに、ひとりが鞄の中から「しおり」と鉛筆を取り出すと、「質問があるのですが…」とおずおず切り出しました。

 「この仕事を行うにあたって一番大切なことは何ですか」「うーん…」。様々な職場のいろいろな方々に等しなみに問いかけている質問なのでしょう。「お坊さん」であるのに「一番大切な」こととは何か…。突然、暗闇から手裏剣が飛んできました。間をおかず、わかりやすい言葉で…。「日々、真面目に過ごすことです」。ほっとする間もなく、次の質問。「この仕事に就いて、うれしかったこととは何ですか」「うーん…。お寺とは、いろいろなご縁を結ぶ場なので、ご縁がつながって喜んでもらったときがうれしいです」。

 これらの質問は「あなたにとって生きる喜びとはなんですか」という、根源的な問いかけと言い換えてよいかもしれません。突然、腹わたをのぞかれたようでビクッとしました。たまには、時の流れに竿をさし、足もとを見つめなおさねばなりません。さて、みなさんは、どのように答えますか。

  翌朝、朝食後、いじわるく長老に昨日の質問を投げかけてみました。不思議なことに、私とまったく同じ答えが返ってきました。やはり、親子ってどこか似ているんですかね。

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第十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/3/21  

 夜中、眠れなくなってしまったときには、とりあえず目を閉じることが大切だといいます。なんでも五感から取り込む外界の情報の8割は目から入ってくるので、目を閉じ、その膨大な情報をシャット・アウトするだけで脳が休まるからだそうです。私たちは、多くを視覚に頼って生活しています。

 目の不自由な人のために、様々な工夫がなされています。例えば駅においても、点字ブロック、音声案内がついた券売機、鳥の鳴き声を流し階段の存在を知らせたり…。日常生活でも、音声案内付きのパソコン、携帯電話などが普及し、自ら活動できる手だても増えてきています。

 先日、視覚障害を抱えながらも、フリークライミングを教え、2011年「ワールドチャンピオンシップ」視覚障害者の部で優勝した小林幸一郎さんの話を聞く機会がありました。28歳のとき突然、将来失明すると告知され、それを受け入れることができず失意の日々を送ったといいます。新聞も読めなくなる、車も運転できなくなる、文字も書けなくなる……。そんなとき、一人のお医者さんからこういわれたそうです。「できなくなることを数え上げるのではなく、あなたが何をしたいのかを考えなさい」と。

 面白く生きるには?彼は、フリー・クライミングを教えるNPOを立ち上げます。あまたの困難が待ち受けていたに違いありません。しかし、彼は、「自分の人生をいきるということとは何か」という問いかけをエネルギーとして、NPO「モンキーマジック」を設立。それを起点に多くの人と人とを繋いでくれています。

  別れの際に彼は言いました。「平気で暮らしているように見えると思いますが、落ち込んだり、すごくうれしかったりと心の浮き沈みは大きいんですよ」と。

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第十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/4/21      

 進学校として著名な、豊島岡女子学院は、毎朝8時10分から5分間、白い布を赤い糸でまっすぐに縫っていく「運針」を行っているそうです。早い人で3メートルを超えるといいます。雑念を捨て無心になって、ただひたすら手を動かすという行為によって、集中力が培われたと答える卒業生も多いと聞きます。

 成就院の玄関に、もう亡くなってしまいましたが新井静枝さんからご寄付いただいた、縦147㎝×横106㎝のパッチワークの「曼荼羅」がかかっています。それは、正式な曼荼羅の図像ではありませんが、金剛界マンダラのように九つのブロック(九会)に分かれており、それぞれの大輪の中に五つの輪が、またそれぞれの輪の中にさらに小さな五つの輪が描かれています。まあ、直接見るとおわかりいただけると思います。

 新井さんは、茶色をベースに少しずつ色を変え、小さな輪五つを中くらいな輪に縫いつけ、それら五つを大きな輪に縫いつけ…。亡くなったお父さんのこと、おじいさんおばあさんのことを思いながら、毎日毎日時間を決めて縫い続けました。3年かかって曼荼羅はようやく完成いたしました。

 一針、一針に思いを込めて縫い上げてていく。まさに御信心ですね。信心とは、突然沸き起こる場合もありましょうが、少しずつ少しずつ醸成していくものでもあるのでしょう。これは信心というものに限らず、仕事においても、勉強においても、そしてさまざまなものに通じていく姿勢ではないでしょうか。

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第十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/5/21      

 ロボット掃除機「ルンバ」がちょっと話題になっています。自動充電、作動時刻の設定、部屋ナピゲーションなど至れり尽くせり。家族全員がお勤めする家などとても重宝でしよう。でも、そうじをしなくなることによって失われるものもあるのではないでしょうか。まあ、それにしても忙しない現代ですよね。

 昔、釈尊の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という人がいました。彼は、物覚えが極端に悪くひとつの句さえ満足に覚えることができません。自らに絶望し、釈尊の元を離れようとしましたが、「自らの愚を知る者は真の知恵者である」という言葉を聞き思い留まりました。釈尊は、彼に一本のほうきを与え、「塵を払わん、垢(けがれ)を除かん」と唱えさせ、来る日も来る日も掃除をさせました。

 長い年月が経ったある日、周利槃特が釈尊に掃除が終わったことを申し上げると、「まだ一個所綺麗になっていないところがある」と言われました。その時、彼は自らの「心の掃除」ができていないとを悟り阿羅漢果を得た、といいます。なにごともただ一心にひたすらに行うことが大切なのでしょう。

 世界各地の学校において、生徒に掃除をさせる地域とさせない地域があるそうです。掃除をさせない理由として、学校は学問を教える場であり、生活について学ぶ場ではないとか、身分制度があり我が子が掃除をすべきでないとか、掃除をする人の仕事を奪ってはいけないなど様々です。

  日本では生徒になぜ掃除をさせるのか。当然予算的な側面があったことは事実ですが、「茶道」「華道」などの「道」の語で表される、昔より伝えられてきた、様々なことは人間を深めていく手だてになるという考え方が根底にあるのではないでしょうか。掃除一つ取ってもおろそかにはしたくないものです。

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第十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/6/21      

  聖武天皇の后、光明皇后は、「施浴」において千人の垢を洗い流すという誓願をたてました。「湯施行」といいます。いよいよ、最後の千人目というとき、全身に血膿をもつ患者がやってきました。が、皇后は厭うことなく、背中を流しました。実はその病人は阿閦如来(あしゅくにょらい)の化身だったといいます。

 先日、高野山足湯隊隊長・辻雅榮さんとお話しする機会がありました。足湯隊は、被災者の足を温め、洗い、マッサージをしながら、ぽつりぽつりとつむぎだされることばにだただ耳を傾ける、という活動を続けています。東日本大震災以降は、毎月毎月、金沢から東北へ、すでに13回。頭が下がります。体が温まってくると、心もほぐれてきて、心を開いてお話ししてくださる方がいるとのこと…。

 人より一段と低い位置に進んで身を置き、不平をもらすことなく、淡々と生活をすること、このように己を磨く修行を「下座行」といいます。「湯施行」も足湯隊の活動も「下座行」です。  とはいうものの、我が身に照らして考えれば「下座行」に徹することはなかなか難しい。喜怒哀楽に翻弄される毎日です。足湯隊メンバーも、喜んでくれて良かったと誇らかに思うこともあるでしょうし、怒鳴られ呆然としたこともあったでしょう。つらい話に涙してしまうこともあったに違いありません。

 毎回、活動の最後は、避難所の便所を、全員でピカピカに磨くそうです。満足感も悲壮感も、あれもこれもすべて便所に流して「さようなら」。「下座行」に達しようという、「覚悟」がビシビシ伝わってきて、私の背中もぞくっとしました。

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第十五回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/7/21        

 井上ひさしさんのエッセイに「人は一生の間にどれぐらい罪を犯すものだろう。(略)幼いころ、隣家の猫のひげをちょん切ったそうだ。これは立派な犯罪になるらしい。他にもスカートめくりやキセル乗車など、あれやこれやで『総刑期』は50年を超す」とあります。果たして、私の「刑期」はいかほどでしょうか。とにもかくにも、私たちは、大なり小なり「罪」を犯して生活しているように思われます。

  さて、仏教の教えの中で特に心を説くものに、唯識説があります。唯識では心を八つの階梯に分析しました。眼・耳・鼻・舌・身・意の第六識までが表層心、そしそて第七未那識、第八阿頼耶識が深層心です。阿頼耶識の「アーラヤ」とは、「藏」「場所」の意です。

  人は様々なことを行い、様々なことを考えます。それらの行動(「現行(げんぎょう)」といいます)は、済めば終わりというものではなく、その印象や気分が残ります。その情報を「種子(しゅうじ)」といい、それが心の深みへと下りていき、蓄積され、保存されるのです(「薫習(くんじゅう)」といいます)。善の種子も不善の種子も多く薫習されています、それらの種子は、ある契機で自分の意志とは関わりなく「現行」してしまうのです。

  唯識説の立場に立ったとき、私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか。まず、阿頼耶識に蓄えられている不善の種子を眠らせておくことが思い浮かびます(「随眠(ずいみん)」といいます)。そして、善の種子を表面に浮かび上がらせ躍動させる。

 といっても、私たちは意識化にある阿頼耶識に直接働きかけることはできません。それでは何が大切か。まずは眼・耳・鼻・舌・身、五根と表される「からだ」を清浄にしていくこと。そして、意根識を清浄にしていくことが重要です。「六根清浄」といいますね。まず、それが悟りへのステップです。いからず、むさぼらず、仏の世界に心を集中していく…。日常生活の中で善行を心がけることが求められるのです。

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第十六回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/8/21        

 一昨年のクリスマスの日、「伊達直人」を名乗る人物から、児童養護施設にランドセルが届けられたというニュースが流れました。以降、そのような行為が相次ぎ、社会現象とまで言われました。

 児童養護施設とは、親がいない子や、親が育てることが出来なくなった子が生活する施設です。施設を訪れるボランティアが、子供たちに絶対行ってはいけない行為があるといいます。それは、「だっこ」。小さな子供は、かわいく愛しく抱きしめたい。しかし、将来、その子のもとに行けなく/行かなくなるかもしれない。その子にとって、愛情を注いでくれた人が来なくなるのは、裏切り行為に他なりません。愛情表現であった「だっこ」は、その子を傷つける行為へと意味が反転します。

  『わたしにふれてください』という詩の一節を掲げます。「あなたのやさしくおだやかな指先をください/あなたにふれられて、わたしは愛されているということを思い出すことができる/わたしは、わたしなのだ、ということをおもいだすことができる」「どうぞ、何もおそれないで/ただ、わたしにふれてください」

 わたしが、いま/ここにいていいのだという実感がいかに危ういものか。時折、日常の裂け目からそれを実感せざるを得ません。誰かに受け止めてもらったというやすらぎと安心感が、自らの心の底を支えているものなのでしょう。われわれは、日常の惰性に押し流され、こんな大切なことさえも忘れがちです。

 「ふれあい」とは、ずいぶん使い古された言葉のように感じますが、実にたいせつなことを言いとめているのですね。

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第十七回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/9/26  

 NPO法人「ダルク」をご存知ですか。薬物依存症者に、身体的、精神的、社会的援助を提供することによって、薬物依存からの回復を手助けし、将来自立できるよう支援する団体です。全国各地に40以上の支部があります。

 以前勤めていた学校で「薬物使用防止啓発講演会」を行いました。講師には、「ダルク」に身を置き、薬物依存からの脱出を図ろうとしている方3名をお願いしました。講演冒頭の一言。「僕はクスリが大好きです。今でもクスリをやりたい。でも、もうしません。クスリのせいで私は大切なたくさんのものを失いました。家族・友人…」。身を切る話に、いつもはガヤガヤしている生徒たちが、水をうったようにシーンとなりました。

 「ダルク」での生活では、仲間と共に行う、「言いっぱなし、聴きっぱなし」のミーティングがメインです。自分はなぜ薬物に頼るようになったのか、そしてどの様な人生を歩んできたのかを話し、共有し、そして、薬物を使わないことを「目標」に今日一日を過ごします。とりあえず、今日一日…。

  自らの心は、暴れ馬のように馭しにくい。いわんや薬物によって心のコントロールができにくくなってはなおさらです。その心を調教していくには、同じ苦しみを持った仲間との互助が不可欠です。でもその前提となることが、自らの行いを振り返り、正面から向き合い、そして、そのときの混沌たる情炎に言葉を与えていくこと。自ら発する言葉を我が耳で聞き、それが他人に共有されているというのを戒めとすること。一日一日歯を食いしばって時を過ごし、なんとか寝床までたどり着くのでしょう。

  日々自らを点検し、こころの微調整によって、暮らしを整えていきたいものです。

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第十八回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/10/21       

  ムラの風景の中には、相対立する原理を担う人々が見えます。一方は定住民、もう一方は、聖、巡礼、遊芸民などの非定住民です。いずこからともなく訪れる人々は、異界において不思議な力を身につけ、「畏怖/賤視」のまなざしでみられる存在でした。彼らは、田植えなどの特別な日に訪れたときは祝福されますが、それ以外は、敵意の混じった目で見つめられました。

 ムラを流れる円環的な時間は、時が重なるにつれ澱んでいきます。その汚れた時間をよみがえらせるためには、その澱んだ時間を形に表し、ムラの外に追放することが必要です。具体的には、「異人」(非定住民)にケガレを背負わせ排除するのです。そしてムラはひととき日常を取り戻すのです。

  この排除の構造は、私たちの身の回りのあらゆるところに存在しています。たとえば、いじめ。身なりが汚れている子、うまく友だちとつきあえない子などが「異人」として仲間から排除されます。いじめた子は、その行為によっていじめられない側に身を置くことになる。マスコミで叩かれたアイドルなどまさに「あこがれ/さげすみ」の存在であると思いませんか。排除の構造は、職場の同僚の間でも、ママ友の間でも、道端で立ち話をしている人の中にも、いや人が3人集まればそこには生じてしまう。

 この排除の構造のやっかいなことは、人が群れたそのとき、その空間に自ずと生じてしまっているということです。自らが排除の構造の一端を担っているのかもしれないという自覚を持つことがまず必要でありましょう。

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第十九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/11/21      

 岩手県の吉浜というところで、畳四畳半もあろうかという大きな「津波石」が出現しました。「出現した」と記したのは、以前道路を造る際、この石が邪魔になり、上から土を被して地中に埋めてしまったものの、この大津波によって地面が掘り取られ再び地表に表れたからです。「津波石」の大きさは、津波を忘れるなという強い思いの現れでもあったでしょう。しかし、それをたやすく埋めてしまう。

  大船渡の西光寺さんにある「津波記念碑」にはこう記されます。「一、想起せよ。昭和八年三月三日 二、大地震の後には津波に注意せよ 三、三、四十年に一度は津波が来るものと思え 四、急に潮が引いたら警鐘ならせ 五、警鐘きいたら高いところに」と。

  三陸鉄道盛駅に併設される「ふれあい待合室」でお会いした方は、「震災直後、大船渡中学がご遺体の安置所になっていたのか、小学校がそうなっていたのか、それさえもうハッキリ覚えていないんですよ。私たちは、絶対忘れてはならないことなのに…」とご自分を責めていらっしゃいました。

  『方丈記』に大地震についての記述があります。その最後に、地震後の人々の様子を記す一文があります。「人みなあぢきなきこと(人の世のはかないこと)を述べて、いささか(少しは)心の濁りもうすらぐかと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づるひとだになし」。

 辛いことは忘れていかなくては生きていけません。しかし、忘れてはいけないこともあるはずです。それを思い起こし思い起こし生きていくことがよりよく生きることにつながっていくのでしょう。

 絶対に忘れてはならないこともすぐに忘れてしまう。人のおろかなることは、平安の昔も、今もあまり変わらないようです。

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第二十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2012/12/21     

 私の知り合いで、出てきたおかずを必ず携帯のカメラで写す人がいます。なんでも、その写真にコメントを付け、登録している人に一斉に送れるシステムがあるそうです。その方は交代でお昼を取らねばならないため、いつも一人でご飯を食べるのだとか。寂しいですよね。送信すると「おいしそう」とか「ボリューム満点」といったコメントがすぐに返信されてくると聞きました。人とつながると心が安らぎます。

  別の知人は、オペレーターさんがいる部署の管理職になりました。その方は、いつも川沿いにあるベンチで一人で昼食をとっているそうです。管理職という立場は、ときにはミスした部下を叱責しなくてはならないし、大きなミスの場合辞職を勧告することもあるかもしれない。特定の人、特定のグループと仲良くするといろいろ差し障りがあるのだと聞きました。

 本来、食事とは生きる力を供給すべきもの。皆でワイワイ話し、おいしく味わい…。楽しみであるべきものです。しかし、今の社会はこんな基本的なことさえなかなかかなわない場合が多いようです。

 家庭の中でも同様です。家族が一緒に暮らしているにも関わらず子供が一人で食事をとるー「孤食」。家族が同じ食卓を囲んでいても外食をしているようにそれぞれ別の物を食べているー「個食」。こうした言葉があるということは、それが、今の日本で常態化しているということでしょう。

 昔から「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。食事がコミュニケーションの一端を担うのです。家族や親しい友人で食を共にするそんな共有空間を大切にしたいものです。

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