2013(平成25)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第21回~第32回
第二十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/1/21
高校の運動部における顧問教諭の体罰が、また問題になっています。体罰は常態化しており、顧問は「部員を発憤させるため」、また「クラブを強くするため」に体罰を行ったと発言しているそうです。ビンタをして部員が発憤するのか、部員を殴ってクラブが強くなるのか、はなはだ疑問です。
部員を殴ったその瞬間の顧問の心のうちを想像するに、部員が自分の思ったような動きができなかったから、ミスをしたから、それにイラッときたということではないでしょうか。発憤させるため、クラブを強くするため、という「理屈」は、後付けです。
この「理屈」は、完全に血肉化し、自己を正当化してしまいます。体罰を行うことが、むしろ教育的な行為であり、自分が有能な顧問であるという自負心さえ生じさせてしまうのです。視界を遮蔽された馬車馬のようですね。
私たちの周りにも似たような「理屈」が充ち満ちています。というより私たちも、そのような「理屈」をつむぎだしていることがままあります。ちょっと身の回りを見渡してみましょう。たとえば、「あなたのためを思って…」とか、「あなたが心配だから…」とか。よく聞くフレーズです。
人は自らの行動を、後に「理屈」によって意味づけます。「理屈」を再点検するような冷静な分析力を持ちたいものです。
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第二十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/2/21
噺家・古今亭志ん輔さん曰く、「学校寄席に呼ばれることがありますが、テレビで流される瞬発的な笑いに慣れている子は、サゲまでもたないで寝てしまう子が多いんですよ。笑うためにはいろいろ仕込みをしないと。笑うのにも辛抱が必要なんです」と。
津軽三味線奏者・太田家元九郎さん曰く、「和のものは、すっと入りやすいんです。三味線でもお琴でも音はすぐに出るようになる。でも奧が深い。そこからが長いんですよね。ほとんどの人は手前でやめてしまうんですよ」と。
勉強も、公式を覚えたり、単語を覚えたり、文法を覚えたり、という基礎的な作業を繰り返し体得しないと「分かった」という楽しみを味わうことが出来ません。でも、こういう作業は単調で楽しくはないですよね。おっと、あなたはどうなのと問われるとちょっと困ります。
「辛抱」という言葉には、ドラマ「おしん」の主人公のような「刻苦勉励」の暗いイメージが張り付いていました。ですから、いまは、我慢しない、無理しないでと言われます。でも、少しも辛抱せずにさっと逃げてしまったり、あっさりと大事なこと/ものを手放してしまうという傾向が強くなってきているのもまた事実です。
じっと辛抱したとき、じっと我慢したとき、心の根が深く張っていくのでしょう。楽しみをじっくり味わうには、しかるべき労力が必要とされます。宝物とは、そうやすやすと手に入るものではありません。
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第二十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/3/21
異なる共同体間における原初的な交易の方法として「沈黙交易」といわれるものがあります。それは、交易をする双方が接触をせずに交互に品物を置き、双方ともに相手の品物に満足したときに取引が成立するというものです。具体的な言葉のやりとりがないので「沈黙交易」といいます。この場合、双方損得なし、よって対等です。
みなさんは、買い物をしたとき、「ありがとうございます」「お世話様です」とお声掛けをすることがありますか。以前若者から「金を払っているのになぜお礼を言うのか」と聞かれ驚いたことがあります。必要なものを納得して購入するということは、支払った金額に相当する対価を得ているということです。といっても「売ってやる」というお店には行かなくなりますが…。
近所のスーパーの入口に「お客様の声」コーナーが設置されています。たまに読むと「店員の態度が悪い。どういう教育をしているのか」「手際が悪いのでやめさせろ」などなど、読むだけで不快になるものもまま見られます。どうも「お客様は神様です」と言い出したあたりから、日本人の意識が変わってきたような気がしてなりません。
「わたしが、わたしが」と声高に自らを主張するのではなく、「わたしも、あなたも」と、お互い尊重し合えば、スムーズに運ぶことが多いのではないでしょうか。いろいろな場面で「ありがとうございます」と言ってみませんか。
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第二十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/4/21
芥川龍之介に『蜘蛛の糸』という小説があります。釈尊が、極楽の蓮池を通してはるか下を見ると、多くの罪人たちの中に、犍陀多の姿を見つけました。彼は、わずかでも善行をなしたことがあったため、釈尊は、極楽へ導こうと一本の蜘蛛の糸を下ろしました。彼は、それにすがって昇り始めますが、多くの人が連綿と続いてくるのを見て、「下りろ。下りろ」とわめきます。すると、蜘蛛の糸がぷつんと切れてしまったというお話です。釈尊が下ろした蜘蛛の糸とは、「慈悲」の比喩なのでしょう。
炊き出しのときに知り合った元ホームレスのおじさんがいます。路上生活から脱出したいと相談を受け、あれこれ手配をし、生活保護を受給することができ、アパート住まいが始まりました。ホームレス生活の辛さが分かると、毎回炊き出しにも参加し、おにぎりをお配りししていました。メンバーがアパートを訪れ会食をしたり、逆に飲み物を差し入れてくれたりと和やかなおつきあいでした。
ところが、支援団体にお金を預け、一定の額を毎月受け取ることになっていたものの、手違いがあり、すべてのお金を一度に手にしてしまいました。どうも競馬ですべてをすってしまったらしい。しばらく行方不明となり、結局、生活保護は打ち切られました。もう姿を見せなくなってしまいました。
蜘蛛の糸とは何の比喩なのか。思うに、人を信頼する心なのではないでしょうか。人を信頼する力が弱いと、信頼に応えようという力も弱い。人の思いやりとは、細くか弱い様に見えますが、実はしなやかで強い。しかし自らその糸を断ち切ってしまう。一度走り出したら、自ら止めることが難しいのが我が心。いま、おじさんは後悔しているのでしょうか。どこでどんな暮らしをしているのでしょう。
絆とは手を放せばすぐ途絶えてしまうもの。良き出会いはしっかりと結びつけて放さないよう心がけたいですね。また、おじさんと、にこやかに話をしながらおにぎりを結びたいものです。
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第二十五回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/5/21
仮設住宅の集会所には、震災以降、様々なご支援が入っています。野菜や米の配布、焼き肉・焼きそばといった食事の提供、マッサージ、ヨガという心身の癒し、落語、マジック、コンサートというお楽しみなどなど。
大船渡出身でシンガーソングライターのHAMAちゃんという方がいます。仮設集会所での巡回コンサートを行ってきました。コンサートの最後に、「みなさんにお伝えしたいことはありますか」とお尋ねしたところ、一人のおばあさんがすっくと立ち上がったそうです。一声「大きな地震があったら高いところへ逃げて下さい」と。自分たちが経験した辛い思いを他の人に味あわせたくないという慈しみ。
東日本大震災の直後、避難所に指定されていた陸前高田市民体育館に、近隣の約80名の方が逃げ込みました。しかし、35mある体育館の天井40cm下まで濁流が流れ込んだため、ほとんどの方が亡くなり、3名だけが助かりました。
天井の梁に4人でつかまっていると、津波は何度も押し寄せ、その度に引きずり込まれそうになったそうです。皆で手を放したらいけないと、真っ暗な体育館で励ましあっていたあるとき、一番若い30代の男性がその手を放してしまった。漆黒の闇の向こうに「俺の分まで生きてくれ」との叫びを残しのまれていったといいます。苦しい苦しい最期のそのときに、他人の命を思いやるという慈悲の発露。
「慈悲」とは仏道の根本であり、仏そのものであるともいわれます。「慈悲」というと仏像が湛える笑みのように静かで清らかなイメージでしたが、実は力強く躍動的なものなのですね。
我々の心の中心には仏性があると経に記されます。煩悩の雲を取り払い、輝く仏性を顕現させなくてはならないと経は記します。心と向き合い、心の奥深くにある仏さまの心を探って行きましょう。
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第二十六回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/6/22
「時薬」という言葉があります。深い深い悲しみでも、時の経過はそれを少しずつ薄めてくれる。でも、それすべてを消し去ることはできません。ですから、悲しみを乗り越えよう、克服しようと思うと苦しくなる。まだ立ち直れないのは自分の至らなさゆえだと思うと苦しくなる。ただただ、あるがままを受け入れずっと付き合っていく、そう考えた方が良さそうです。
悲しみと生きるには、自らの思いを誰かに語ることが大切だとよくいわれます。人は、大きな悲しみに遭遇したとき、感情の激流に翻弄され、どこかに持って行かれてしまう。自分の心と向き合う余裕などありません。語るという行為は、そのマグマのように激動する心に、言葉を与えることによって切れ目を入れ、整理するということなのです。
私たちは、相手の言葉が導きとなって次の言葉を発していますし、聞き手によって話す内容も言葉も違ってきます。例えば、揺るぎないものとして「いま」私の中にある、「あの人が私を可愛がってくれた」という確信は、言葉によって創り出された「物語」といってよいものです。他の「物語」を紡ぎ出した可能性は無数にあったのです。
「語る」とは、「物語」を紡ぎ出すということ。人は混乱した非日常的体験を、「物語」を編むことによって、向き合い、そして受け入れることが出来るのです。重ねて言えば、人は「物語」というかたちでないと、様々な「こと」を受容できないのです。
写真を見て思い出を振り返ること、失った人に手紙を書くこと、お墓参りに行き故人に話しかけること。要するに言葉を与えること。それらは故人に思いを手向けることでもあり、そして自らがよりよく生きるための行動でもあるのです。
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第二十七回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/7/21
夫が亡くなってしまったので寂しかろうと、田舎の姉の家に一週間泊まってきたという人の話。帰って来たとき、姉を思って行ってあげたのに歓迎されなかったと不満げです。姉の愚痴を聞いてあげた。朝、家の掃除をしてあげた。台所が汚いから磨いてあげた。お土産をあげたのに子どもはろくにお礼も言わない…。たいがいこういうタイプの人は、親切で「良識派」の方が多いようです。
嫁さんの立場で考えれば、突然押しかけられ、家の切り盛り、子どもの世話をしつつ、客の食事を作り、かつ見られたくない部分を知られてしまうのですから、そうニコニコしてばかりはいられません。
同じ行動でも「してやってる」と露骨に表現されると感謝の言葉は出てこない。こういう人が罹患している病を「してやった病」 と名付けてしまいましょう。病と認識していないゆえ根が深いのです。
遠藤周作さんのエッセイに「善魔」という語が出てきます。「自分の愛や善の感情におぼれ、眼(まなこ)くらんで自己満足をしている」人のこと(『生き上手死に上手』)。その「正しさ」故、よけいたちが悪い。
われがわれがの「が」ではなく おかげおかげの「げ」で生きる
「われが…」という心の中にあるしこりは、そうかんたんに取り去ることはできません。
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第二十八回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/8/21
教員の時の話。放課後、私に電話がかかってきました。受話器を取ると、まくしたてるように「うちの子は2時間近くもかけて毎日学校へ通ってるんです。でも、先生が遅刻を間違えてつけたため皆勤賞がとれなくなってしまうではないですか。訂正して下さい…」。私は「失礼ですが、どちらさまですか」と聞き返しました。
成績不良が理由で転校した生徒がいました。半年以上たってから塾の先生を名乗る方から電話がありました。「在籍証明書はどのようにいただいたらよいのでしょうか…」。どうも電話の向こうに、その生徒がいるようで、あれこれ小声で話している気配が伝わってきます。どうして自分で電話口に出ないのか。彼の母親も、保護者会の自己紹介で「うちの子どもは私たち夫婦の太陽です」と高らかに言挙げしてしまう溺愛型の方でした。
「自尊感情」という言葉があります。「自尊心」とは、自分が相当な存在でありたいとの思いなのに対し、「自尊感情」とは、今の自分をそのままあるがままに受け入れようとの思いです。「自尊感情」を育てるのにはどうしたらよいのか。子どもの頃から小さな成功体験を積み重ねるしかありません。それは大人になってからも同様です。
先回りして子どもの手当をするのは、「自尊感情」を育てる芽を親自らが摘んでいることに他なりません。手を出したくなる気持ちをグッとこらえて、子どもが自ら行動できるよう見守ることが大切です。
仏教では、「愛」とは煩悩であり執着です。大切だと思う人に注ぐ強い「愛」が束縛になってはいないのか。ちょっと考える必要がありそうです。
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第二十九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/9/18
「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し…」と萩原朔太郎は、『純情小曲集』で歌い上げました。大正時代の人にとっても、「ふらんす」は憧れの地であったに違いありません。
最近、知人が日本の古典文学の仏語訳を行っているフランス人、ルネさん宅をお尋ねしました。立派なお屋敷だったそうですが、一番印象に残っていることといえば、残ったフランスパンをくるむ大きな布巾の角がすりきれほころんでいたが、隅には祖母の名前が刺繍されていたこと、ナイフも三代にわたって研がれ続け、刃が薄く薄く減っていたこと。同様に使い続けてきたベッドカバーには素晴らしい刺繍が施され年代を感じさせられなかったことだそうです。良い物にはお金をしっかりとかけ大切に使うという「文化」に圧倒されたといいます。パリには1ユーロシヨップなんて無いのでしょうか。
江戸は高度なリサイクル都市だったそうです。蜜柑の皮は干して漢方薬に、古紙は新たな紙に、糞尿は肥料に…。日本にもフランスとはちょっと違いますが、物を大切にしようという「文化」はずっと伝えられてきました。やはり「消費社会」の出現が分岐点なのでしょうか。私の知り合いでも、100円ショップに行くたびにネコの毛を梳かすための櫛を買ってしまうので30個もあるという人、バーゲンの度にTシャツを買ってしまうので押入れを見たら100枚あったという人もいます。
といっても後生大事にただただ捨てずに取っておくことは、物を大切にしていることにはなりません。先日、納戸の掃除をしましたが、何十年も前の石鹸、タオル、古びた家電製品…その存在すら忘れ去られているものがごそごそでてきました。しまい込んでしまったら、それは存在しないのと同じです。
物を大切にすこと、豊かに暮らすこととはどういうことなのか、問い直すときがもう来ているのです。
ルネさん曰く「日本は安心なので電車で居眠りができます、東京の街はゴミが落ちて無くパリよりずっと綺麗です」。あこがれの「ふらんす」とは実際どんな所なのか、一度訪れてみたいですね。
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第三十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/10/21
「真・善・美」とは、「学問・道徳・芸術」が目指すところの価値であり、それらを学ぶことによりイデア(理想)に近づけるのだといわれます。
それらの価値は、本来一体なのでしょうが、人間の発達のキーワードとしてとらえなおすと「美・真・善」の順になるそうです(『教育幻想』ちくまプリマー新書)。まず幼児期には、「美」ー心地よいか否かで行動し、それを土台として小学校にかけて「善」ー良いか悪いかの意識が生まれ、やがて「真」ー正しいか否かの認識が構成されていきます。おもちゃが欲しいと泣きわめいたり、走りたいとき辺りを走り回ったりという欲望が、発達の過程において他者との関係の中で徐々にコントロールできるようになるのです。
これは私たちの行動原理にも当てはまることなのではないでしょうか。私たちは「地球をキレイにしよう。お父さんお母さんを大切にしよう」という言葉に、「善」や「真」を見ますが、もっともだと思うものの、行動にはなかなか結びつきません。むしろ他人の行動・言動のなかからキラリと光る宝石を見出したとき、何か動きたいという力が湧き上がります。「美意識」が行動の土台となっているのです。
「学ぶ」という語の語源は「まねぶ」だといわれます。「まねぶ」とは真似をすること。「学習」とは真似をしてそれを何度も何度も繰り返すことによって体得するという意味です。
「親の背を見て子は育つ」といいます。子供にとって親は学習するための「モデル」に他なりません。これは何も親子関係だけでなく、自分を取り巻く人間関係すべてに当てはまります。周りの人の「モデル」となれるよう、背筋を伸ばし暮らしていかねばなりません。
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第三十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/11/21
インド西部にあるカイラス山は、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ボン教四つの宗教の聖地です。標高は4,500m前後、厳しい自然環境は容易に人を寄せ付けず聖地たる威厳を今なお保っています。
カイラス山を目指し、各地から多くの巡礼者が訪れます。あるテレビ番組でひとりの巡礼者へのインタビューが放映されました。その方は、五体投地をしながらカルカッタからカイラス山へと向かっているといいます。数千キロという果てしない距離を数十センチずつ尺取り虫のように前へ前へと進んでいきます。何でも17年前に家を出たとか。所持していた路銀はもはや底をつき、物乞いをしながら日々巡礼を続けているのでしょう。
まだまだカイラス山は遠く、生きているうちにたどり着けるかどうか、多分たどりつけないでしょう。インドの人は輪廻を前提としているので、今生でたどり着けなくとも、大きな功徳を得て来世に転生したいと考えるのでしょう。
聖地に向けて一日一日間違いなく近づいているという実感。そして、死が訪れたその時は、自らの身体がカイラス山の方向へと倒れ込みたいという堅固な覚悟。私たちは、そのようなストイックな暮らしを行うことはできませんが、生きる姿勢は大いに学ぶべきではないでしょうか。
釈尊はこのような言葉を残しています。「目標達成の半ばで死んでしまったとしてもそれは無駄ではないのです。目標達成がゴールなのではなく、そこまでの努力自体をゴールと考えるべきです」と。しっかり言葉を噛みしめましょう。
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第三十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2013/12/21
四国遍路を歩いて巡ったときのことです。夕方までにあと一カ寺とついつい無理をしていました。私たちは、子どもの頃から効率的に多くの仕事をこなすのがよいと教えられてきました。遍路に来ても同様。何かに追われるように、一つの寺を終えるとまた次の寺へ。道中、徳島から徹夜で50キロ歩いてきたと誇らしそうに話す青年と会ったことがあります。
ある日、日向ぼっこのおばあさんに道を尋ねると、「この道は、昔の街道でナ。今は人もよう通らんが、祭りの晩は提灯の明かりが一晩中絶えなかったんもんだ。まあ、ボチボチおやんなさい」と。
お接待所では、「最近のお遍路さんは、休んで行きなさい言うても、先を急いでいますからとありがとうも言わんうちにスーッと通り過ぎていく。お遍路は三返回ったから三倍御陰が頂けるんじゃない。道端のお地蔵さんにお参りしたり、地の人と話をしたり、そういうことが大切なこと。急ぐという事は死に急ぐということ」。良いお話しを伺いました。
「御陰を頂く」とはよい響きを持った言葉ですね。「御利益」という言葉はなんかナマナマしい。温かな陽差しもおかげさま、やさしい声を掛けていただくのもおかげさま、こうして歩けるのもおかげさま…。日常からちょっと離れたときに、たくさんの「御陰」を頂いていることに気付きました。
ボチボチ歩きながら、たくさんの御陰を頂こうと切り替わったとき、心がスッと楽になりました。それからは、道端で農協の裏話を小一時間聞いたこともあります。今日はここでと身も楽になりました。
日常生活においても四国のおばあさんの言葉に耳を傾けましょう。「まあ、ボチボチと、御陰をたくさん頂いてすごしましょう」と。