2018(平成30)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第81回~第92回
第八十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/1/21
お檀家さんで毎月熱海から電動車椅子に乗ってお参りに来る方がいらっしゃいます。その方は、10年ほど前に脳梗塞になり、左半身が不随となりました。リハビリに励みましたが、お医者さんから「絶対元どおりにはならない」と宣告された。なかなか現実を受け入れることが出来ず、それまで、ダイビングに旅行にと活動的に過ごしていましたが、ついつい引きこもりがちになってしまいました。
ある時、出来ないことは人にお願いしようと思い切り、食事はヘルパーさんに任せ、買い物はアマゾンで、車椅子を収納できるリフト付きの車を購入し出かけることができるようにしました。活動範囲がぐっと広がり、心も軽やかになりました。昨秋は独りで北海道旅行に行き周囲を驚かせました。
北原佐和子さんは、ある雨の日、車の中から体の不自由な方が傘をきちんとさすことも出来ずにいるのを見て、送って差し上げたいとお声掛けをしたそうです。その方は、介助は不要と、ドアに手を掛けシートに手を添えて体を支え、ゆっくりと車に乗られた。家に着いた時も、玄関脇にある金網を両手で掴んで体勢を整え、そしてゆっくり中に入って行かれた。
その姿を見て北原さんは、「今まで自分の足で立っていなかった」と思ったそうです。アイドルとしてデビューしてから、周囲の人が日々の環境を整えてくれた…。対してその方は力の限り尽くして生きていらっしゃる。その気づきが、介護の仕事へと導いてくれたとそうです。今は女優と介護の仕事と二足のわらじで頑張っていらっしゃいます。
自らの足で立っている方は、その姿で、私たちに「学び」の機会を与えて下さっているのですね。
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第八十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/2/21
「一時保護所」にお勤めの方が、モグモグ食堂に来てくれました。子供の脇にそっと座ると、魚の骨を取ってあげたりと食事の世話をしてくれます。ごく自然なふるまいで感心しました。「一時保護所」とは、虐待や育児放棄など、社会的養護を必要としている子供を緊急的に預かる施設です。
施設で暮らす子供の中には、七歳というのに平仮名が読めない子がいるそうです。でもマクドナルドのメニューは読める。マクドナルドで食事を取るのが常なので必然的にメニューが読めるようになる。また、上下すべての歯が虫歯という子もいるとか。歯磨きをまったくしていないのでしょう。
施設職員は、子供たちと一緒に食事を取ることが常だそうです。隣に座ると「こんにゃくだよ。プルプルした感じだね」「にんじんは赤い色できれいだね」「ピーマンのにおいは嫌いかな」「お魚を一度食べてみよう。おいしいよ」など声をかけながら、話をしながら食事を取る。ファーストフード、コンビニ弁当しか食べてこなかった子供たちは、野菜や魚、肉という食材そのものをよく知らない。
食べ物をただ飲み込むという行為はおよそ「食事」とは呼べません。食事とは「おいしいものだ」と子供たちに知ってもらうのが大切な仕事。「おいしさ」を認識してくれれば、食事そのものが楽しみとなり、仲間と食べる喜び、作ってくれる人への思い、いろいろな料理への興味・関心、そして自ら料理をしようという思いなどが次から次へと湧き起こり、自らの世界が広がっていくに違いありません。
食事とは毎日の営み、生きる力の源です。毎食毎食、楽しくおいしく頂きたいですね。
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第八十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/3/21
「ぼけ封じ」のお寺が参詣客を集めているそうです。本堂前にある金銅の「なで仏」は、みんなからナデナデされ頭がピカピカに光っていました。認知症というと、心が壊れ自分自身ではなくなってしまう、という怖いイメージを抱いてしまいますよね。
東大名誉教授大井玄先生のご講演を伺いました。先生はこうおっしゃいます。「私たちは若い頃のように速く走ることもできないし、多くのことを記憶することも難しい。加齢とともに体力・気力が衰えるのは自然なことです。認知症も、あちらの世界におだやかに渡るために用意された仕組みであり、忌み嫌うべき病気ではありません」と。
ガン患者の中で認知症の方の方が、苦痛を受ける割合が少ないそうですし、死に至る恐怖もきっと強く感じずに済むに違いありません。ちなみにこの日の演題は「老耄(ろうもう)という恵み」。
認知症は「封じる」べきものではない。齢を重ねるとは、「健康」で居ることを目指し続けるのではなく、自然が用意してくれた心身の変化をそのまま受け入れていくことではないかとおっしゃいます。その移りゆきの中で「いま」何ができるのか、何をなすべきなのか。 「諸行無常」を自らのもの/こととして見据え、受け止めるということ。そう大きくとらえれば、このお話はお年寄りだけの問題ではありません。
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第八十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/4/21
椿、梅、水仙、芝桜など色とりどりの花を愛でながら歩いた、春の6日間の徒歩巡礼。山間の住田町で同行からポツンと離れ歩いていた時、ふと新緑の里山に心を向けてみました。「ピーピー」という鳥の声が耳に飛び込んできます。薄緑の若葉が風に吹かれキラキラ光っているのが目に飛び込んできます。ああ、見落としてきたものがあまりにも多い、そんな思いが浮かんできました。
同行に大型貨物船で世界の海を航海してきた方がいらっしゃいました。20m超の波が立つ時、一日の中めまぐるしく天候が変わる所、その中で冷蔵庫の温度管理から積み荷の点検など仕事が山積み、常に段取りを考え緊張しながら過ごすので、船中では家族のことを考えるゆとりはなかったとのこと。今こうして健康な体で歩けるのも、家族や神仏に護られてきたからだとおっしゃいます。
同行の最高齢は八十一歳。長くパーマ屋を営んでこられました。若い頃、観音参りの話を聞いても特に心は動かなかったし、今までは生きるのに必死で身の回りを見渡すゆとりがなかった、と。歩いている先々で、この家からお嫁さんを出した。あの家からも…。その場に立つことで記憶が蘇ります。たくさんの人のお世話になって、ご先祖や観音様にお守り頂いて、今こうして歩いていられる。
仕事の第一線を退いた今、来し方を振り返るゆとりができた。巡礼とは自由に思いを巡らすことができる贅沢な時です。気仙の風土、同行の方の優しさ、お接待頂いた方の温かさ、という栄養を注がれ、心がちょっとほころんで、色々な気づきを頂いたのでしょう。巡礼とは「自らの人生を行き直す旅」でもあるのです。
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第八十五回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/5/21
陸前高田市光照寺に設けられた慰霊施設には、高さ1メートル、幅80センチほどの大位牌が祀られています。位牌には、東日本大震災で亡くなられた光照寺檀徒303名のお名前が刻まれています。巡礼で共に訪れた方は、「知っている人の名前が何人も記されているので、いろいろ思い出してしまって、まっすぐにお位牌を拝むことができない」とつぶやいていらっしゃいました。
先日、津波研究家の木村さんとお会いしました。明治三陸津波は明治29年(1896)に起こり、死者・行方不明者21,959人、そのうち木村さんの地元唐丹町は1,684名と報じられています。その数は本当に正しいのか。木村さんは、もう一度洗い直すことにしました。
研究者仲間からは、「明治の津波被害者数など今となっては確定できないので関わらない方がよい。被害者数が数百増えたところで、今に影響を及ぼすことなどまずない」と諭されたそうです。
木村さんは、洞雲寺大位牌、盛岩寺の掛け軸三幅、真称寺過去帳という根本資料のみを使い、被害者数を再集計しました。すると、従来の資料には無い名前を300人以上見出しました。
粘り強く調査を続ける木村さんの思いとは、「ひとりひとりの命を大切にする」ということ。数字の「1」とは単なる記号ではなく、或る方の人生の象徴です。喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりといった人生が凝縮されている。大位牌に刻まれた名前も同様です。
「ひとりひとりの命を大切にする」ということ、大切に温め味わっていきたい言葉です。
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第八十六回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/6/21
ショートステイを利用するたびに、玄関先で一悶着おこしてしまう、そんなおばあさんのご家族にお話しを伺いました。職員の方が迎えにくる度に、怒鳴りつけたり、叩いたり…。家族にも「あんたなんか生まなければ良かった」「親を捨てる気か」「こんな所に入れるなら殺してくれ」…と暴言を吐き続けてしまうのだとか。
お見舞いに行ったお孫さんがおばあさんに、「どうしてそんなにイヤなの?」と尋ねました。すると、「私のまわりには誰も来てくれない。こんなに寂しいことはないの」と答えた。ちゃんと分析してますね。
家庭を守るという役割を手放しつつあり、子や孫の世話もできなくなった今、自分は軽んじられているのでないか、と思いを巡らせたのでしょうか。そんな心の隙間を、「人を責めるエネルギー」でなんとか埋めようとする。しかし、かえって人は遠ざかっていく。
お孫さんは、帰宅後こう思ったそうです。「ありがとう」と一言いえたら、みんな集まってくれるのではないかと。感謝の言葉を伝えることは、とても大切なことの一つです。
心も体も弱ってしまった今、私は何ができるのか、どう振る舞えるのか。その問いかけは、ある時、突然目の前に立ち現れてくるのでしょう。その時まで、日々を丁寧に積み重ね、心を鍛えていきたいですね。
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第八十七回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/7/21
イタリア人の大学生3人が成就院を訪れました。私の友人のそのまた友人の娘がイタリアに留学した際、お世話になった家族の一人が、やってきたマリちゃんです。か細い縁がつながりました。
皆さんお寺に興味津々。まず、畳や障子、床の間の見学。掛け軸の掛け替え実演。本堂で仏像を間近に見て「ワオ」と感嘆。ソース焼きそばと野菜ごろごろカレーを食べた後、マリは「真理」、マニュエルは「摩入得」、エリサは「恵利沙」と毛筆で名前を書きました。その後居酒屋へ。もつ焼き、ポテサラ、モツ煮、まぐろブツなど定番メニューを食します。おいしい楽しいとよく食べてくれました。
集った人々は、持てる力をすべて使ってコミュニケートしました。今住んでいる石造りの家がどれほど古いか分からないこと、日本のATMの打ち出しが綺麗で早いこと、ピザの形が違うこと、さつまいものお菓子がとてもおいしいことなど、笑い声が絶えません。意思の疎通が結構はかれました。
もし「通訳」を頼んでいたら、その人を介して話をすることになって、こんなに盛り上がらなかったかもしれません。お互いなんとか伝えたいという気持ちを持てば、スムーズに意思の疎通をできなくとも、心が通い合いウキウキとした空気が生まれます。
日常生活では、漫然と言葉を交わしても会話は成り立つし、心が通じている気になっていることが多い。互いの言葉をしみじみ味わうという機会がいかに少ないことか。互いに心を寄せ合う空間がいかに大切かを学んだ一日でした。
後日、マリちゃんからメールが来ました。卒業論文のテーマは、「大日如来」だそうです。
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第八十八回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/8/21
教員になった頃、先輩教員から、「視聴率が50%の授業ができれば大したもんだ」と言われました。確かに自分の高校時代を省みれば、顔は黒板を向けてはいるものの、ぼんやりしていたり、「腹減った」など他の事を考えていたことがよくありました。「視聴率50%」とは、大したものなのでしょう。
岩手県遠野市及び住田町で行われた「ふるさと創生大学」の集中講義に参加してきました。講義では、地元高校生によるホップでの和紙製作について、岸和田青少年ウインドオーケストラの試み、津波来襲時の体験談、地域興しの「遠野ふるさと学校」紹介などが披瀝されました。
この学校のスローガンは「学びあい 育ちあい」。私は「ふれあい 語りあい」も含んでよいと思います。教える人/教えられる人という非対称的な存在としてここにいるのではなく、ある時は教える側に、またある時は教えられる側へと立場が変わる。垂直な関係でも無いし、平坦な関係でも無い。
そこで大切にされていることは、ひとりひとりの紡ぎ出す物語に耳を傾けること。お互いを尊重し、放たれた言葉の中に気づきを得ること、その気づきを力として学ぶ力を涵養していくこと…。 言葉の力によってそれぞれが絶えず変化することを可能にするのです。
世界はカオスの中から生まれたという考えがあります。整然たる世界からは新たなものを生成する力が弱い。様々な立場で様々な経験を重ねてきた方々が、互い知見を披露するこの場は、学ぶ「悦び」と「嬉しさ」が充ち満ちています。
「学ぶこと」とはどういうことなのか。その原点を目の当たりにさせていただきました。
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第八十九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/9/21
皆さんご存じの「富士そば」。限定メニューが多くの店舗にあるのも有名です。「台湾まぜ蕎麦」「パキスタン風カレー蕎麦」など。果たしてどんな味なのか。なんでも、提案されたメニューは全て商品化されるとか。もちろん不人気の物は淘汰される。「トースト蕎麦」には思わず笑ってしまいました。
細かなマニュアルもなく、お店の切り盛りが店長の裁量にゆだねられている。従業員の中には、「仕事中にここで死んでもいい」という人までいるそうです。それは、待遇の良さもさることながら、職場の風通しが良く、自らが当事者として関わっているという実感が「やる気」を生み出すのでしょう。そうしてここが「私の居場所」だと思い定める。
先日、仕事について若い方と語り合う機会がありました。隣にいた方は、職場を11回変わっているそうです。理由は「なんか飽きてしまうから」。思うに、代替可能の単調な仕事を日々重ねていくと、楽しくはないので長く続けていこうという気力が萎え、「飽きてしまう」ということなのでしょうか。今は映像に関わる創造的な仕事に就き、それなりに満足しているとのことでした。
自分に任せてもらえば工夫して、もっと楽しく、もっと深く、もっとスムーズに展開できる。思いを練り上げ学ぶ時間は、心が躍動するとき。そして、様々な縁が繋がり、成果が立ち現れたとき、わたしが「ここにいる意味」をしみじみ味わうことができる。「居場所」を獲得するというのは大変です。
成就院の座敷に掲げられた額には、こう書いてあります。「庭寛月得多」(庭寛(ひろ)ければ月得ること多し)と。心の壁を低くして多くの恵みを受け取りつつ、精進を重ねて参りましょう。
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第九十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/10/21
「板子一枚下は地獄」、海上での仕事は常に危険と隣り合わせであるという意味。広げて、私たちが寄って立つ基盤がいかに脆弱なものであるかを表す言葉でもあります。
コンテナ船で世界の海を航海した方にお話しを伺いました。乗っていた船は、72,000トン、全長300m、幅40mもある大きなもの。船長としての日常は多忙を極めたそうです。入港する際必要な膨大な書類の作成、航海スケジュール管理、外国人船員の教育・訓練、コンテナの固定確認、冷凍施設の温度管理、食料・水・薬品等の備品管理…すべて船長の確認が必要とのこと。
海流の流れと風との関係で、船が海流の力をせき止め、その力で大きな船が浮き上がることも。その後、ドシンと叩きつけられる。また、海が荒れに荒れ船体がぐっと傾いて戻らないこともあったとか。積み荷を毀損しないよう、一日でも二日でも寝ずに船を操縦したこともあったそうです。元の生活に戻ったときには、「自分だからこそ、この難局を乗り越えることができた」と思ったこともあった。
そして、多忙な航海の日々を重ね重ねて、めでたく無事定年を迎えられました。昨年六日間の徒歩巡礼に参加された時、初めて心にゆとりができて、人生を振り返ることができたそうです。母親が度々神社へお参りに行ったのは、航海の無事を祈っていてくれたから、こうして働けたのも家族や友人そしてご先祖の助けがあってのこと、観音様のご加護もあったのかもしれない…。我が身を守ってくれた存在への感謝の思いが、ふつふつと湧き起こってきました。ああ、ありがたい。
我が人生と出会い直し、大きな気づきを得た。これも観音様から頂いたご功徳のひとつですね。
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第九十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/11/21
ただひたすら山を登っていると、空になった頭には色々な映像が浮かんでは消えていきます。その映像は、あの時に抱いた感情をリアルに蘇らせる。投げかけられた一言の苦さ、自らの振る舞いへの後悔、理不尽な言動に対する憤り…。登山が「癒やし」をもたらす要因のひとつとして、向き合いたくない「あの時」を反芻し、心のトゲの痛みを散らすことが挙げられるのではないかと思っています。
総合格闘技で一世を風靡した須藤元気さん。大晦日のK-1での白熱した戦いは記憶に残っている方も多いのでは。トップクラスのプロ格闘家となった彼ですが、強靱な肉体を得ても、勝ち星を重ねていっても、幼い頃から抱いていた漠然とした不安を拭い去ることは出来なかったそうです。
その不安の原因が分かったのは、禅寺で座禅をしている時。自分の内なる世界と向き合っていると、小学一年生の頃、泣かされて家に帰った時、母親から「気がちっちゃいから、弱いのね」、父親から「喧嘩に負けたら帰ってくるんじゃない」と言われた映像が、ありありと浮かび上がって来た。
人は誰しも子供の時は自由な感情表現をしています。その頃に培われた人格は、成人しても猶本人の一部として存在している。それを「インナー・チャイルド」と言います。自らを守るものでもある反面、自らをしいたげるものでもある。
彼は、その掘り起こされた体験を言語化したことで、長い間抱えてきた不安から解放されたそうです。でも、自分を脅かしてきた「不安」が、より強くもっと強くと彼を導いていったのは不思議ですね。
ところで、あなたの「インナー・チャイルド」とは、どのような「こと」ですか。
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第九十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/12/21
頭を垂れた稲穂が風にそよぎ、キラキラ黄金波寄る光景は、なつかしい気持ちにさせられます。
高校の大先輩がリタイヤ後、「ふるとさ」の風景を復活させようと活動を始めました。休耕田を借り受け、合鴨農法でお米を作ろうというもの。合鴨は、雑草や虫を食べてくれるうえ、排泄物も養分となるという、すごい働きをします。農家の方は「懐かしい風景」が蘇ったと喜んでいるそうですし、また子どもたちを集め、田植え体験や餅つきまで行っているとか。「町おこし」に大きく貢献しています。
台風が来襲した後、田を見に行くと、周囲の田は稲が倒れているのに、自分たちの稲はほぼ被害が無かった。それは合鴨がいつも水をかき回して酸素を供給していること、また水中に頭を入れた際、稲をくちばしでつつくことにより、根が深く張ることによるのだそうです。
宇宙飛行士の油井さんが、人類史上初めて宇宙で育てた野菜を、宇宙ステーションで食べたという話を聞きました。宇宙は重力も無く、二酸化炭素濃度が地球の十倍もある。レタスが育つのには、まさに理想的な環境です。しかし、そのレタスは、とてもカタチはきれいだけれど、苦くておいしくはなかった。おいしくなるには、ある程度のストレスが必要だとのこと。確かに、宇宙ステーションの中は、寒暖の差も無く、虫が飛んで来てかじられることもない…。
人間も同様、人生紆余曲折あって味わいが醸し出されてくるのでしょう。相田みつをさんの言葉を思い出しました。「涙をこらえて 哀しみに耐えるとき 愚痴を言わずに 苦しみに耐えるとき 言い訳をしないで 黙って 批判に耐えるとき 怒りをこらえて じっと 屈辱に耐えるとき あなたの眼の色は 深くなり いのちの根が 深くなる」。味わい深い言葉です。