2022(令和4)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第128回~第139回
第128回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/1/21
正月に行っている山岳部OB諸君との新年会、ばててしまい荷物を皆に持ってもらったことや米がうまく炊けないと顧問(私)が食べようとしなかったこと、大雨の中じゃけんに負けて水汲みに行かされたことなどなど、いつもの話題で盛り上がります。記憶を共有する仲間との語らいは楽しいですね。
テレビで「記憶を無くした人」のインタビューを聴きました。彼は交通事故に遭い生死の境を彷徨いましたが、奇跡の生還を遂げます。しかし、過去の記憶をほぼなくしてしまいった。両親の顔も名前も覚えていない。訪れた友人が語る昔話は自分が記憶を失ったということを改めて認識され辛かったそうです。記憶とは今の自分を形作っているもの。自分が解体し苦しい思いを抱いていたでしょう。
加えて、新たな記憶も覚えにくくなってしまいました。すぐに鮮明な記憶は無くなり、「ぼんやりとした感じ」を覚えているだけだそうです。彼は事故前から交際していた彼女と結ばれお子さんを授かり暮らしています。奥様は「事故の時は命だけは助けて欲しいとお願いしたので、それ以上は欲張らない。生きていてくれさえいれば…」と仰いました。
彼は「記憶」を「記録」することによって「自分」を形作っていこうと試みました。子供たちといるときはどこでもビデオを回し、写真を撮ってアルバムを作ります。毎日「日記」を付けその日の出来事を文字に書き記します。何日か経って「ぼんやりとした感じ」になった「記憶」をたびたび文字や映像で学習し定着させる。それでも「記憶」は薄れていきますが「楽しい」「やさしい」イメージは残るそうです。
一日一日、一瞬一瞬の愛おしさ、大切さ。私たちも見習うところが多いですね。
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第129回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/2/21
終末期医療とは、「治療方針を決める際に、患者はそう遠くない時期に死に至るであろうことに配慮する」という時期に行われる医療・ケアと定義されています。
終末期医療の病棟を担当する管理栄養士・大谷幸子さんは、患者さんの要望に合った食事ー「リクエスト食」ーを週に一度提供したいと考えました。程なく最期が訪れるであろう患者の方に対し、「生きる望み」「生きる喜び」を感じてもらいたい。
ある方は「バッテラ」を所望。町工場に勤めていた若い頃、給料は多く無かったけれど、安くておいしい「バッテラ」が家族みんなの大好物だったとか。提供されたバッテラは、朝仕入れ酢で締めた鯖を使い、飾り包丁が綺麗に入ったピカピカの物。うまそうです。「こんなに食べられるとは思っていなかった」と4貫を平らげました。奥さんは「リクエスト食」の三日前から目力が戻ったと言います。
またある方は「すき焼き」を。実は、その方は食道ガンでほとんど物を食べることができません。でも、なぜ「すき焼き」なのか?それはもう一度奥様と鍋をつつきたいと願ったから。焼酎にちょっと口を付け、豆腐を一口食べ、あとは奥様の食べる姿を見ながらやさしい言葉を掛けていたそうです。食後の感想は「嫁の喜んでくれる姿を見てほんとうによかった」とのこと。
「リクエスト食」は、人生の思い出が隠し味となって、おいしさがより引き立てられているのですね。さて、みなさんは人生最後の晩餐に何を召し上がりたいですか?
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第130回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/3/21
加藤諦三先生は、ラジオの「テレフォン人生相談」の回答者を50年以上務めていらっしゃる方です。先生曰く「相談者は悩みの本質を理解していないことが多い、それは真実をじっと見つめることが怖いから。だから回答者は悩みの奧に潜む真実を探り当て、気づかせることが使命なのだ」と。「あなたが認めたくないものは何ですか? どんなに辛くてもそれを認めれば、道は開けます」と視聴者に呼びかけます。
先生は若い頃、アメリカの刑務所に入り、服役している人たちと相対し、心理調査をした経験があるそうです。それは人生の「核」の部分を知りたいと思ったから。刑務所とは、犯した罪を償うため自らと向き合う場所に他なりません。調査を許可するにあたっての条件として「警備の必要があればただちに射殺する」という書類が提示されたそうです。人質にされて解放を要求されるという事件に巻き込まれるかもしれないから。本当に命がけですね。
その時の質問とは「あなたにとって怖いものは何ですか?」ということ。受刑者の中には貧困が原因で犯罪に手を染めた者が多い。しかし、その人たちは「貧困」とは言わなかった。
回答は「意味の無い人生」。罪を犯し刑務所で暮らさねばならなくなった彼らも「意味のある人生」を求めて今を生きているということ。先生はこう言ったそうです。「人生そのものの意味が無いのではなく、あなたの生き方が人生の意味を無くしているのだ」と。
自分にとっての「人生」の「意味」とはどういうことになのか?ことある毎に問い続け自らを深めていく、その経験が人生の「核」となっていくのでしょう。
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第131回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/4/21
仏教の開祖は「お釈迦さま」、それは釈迦族という部族に生を受けたからです。今から2400~2500年ほど前、紀元前4~5世紀にインドとネパールの境辺りに生をうけた実在の人物です。
釈迦族の国の隣にはコーサラ国という大国がありました。お釈迦様に帰依していたコーサラ国の王は釈迦族から后を迎えたいと申し出ました。しかし、誇り高き釈迦族の長老たちは、美しい召使いの娘を養女にし、王族の娘として嫁入りさせることにしました。王との間に生まれた王子が8歳になったとき、母親の故郷を訪れると、人々に口汚く罵られてしまう。辱めを受けた王子は憤慨し、いつか釈迦族を滅ぼしてやろうと決意を固めたと記されます。
時が経ち、コーサラ国が攻め込んできた時、お釈迦様は、道端にある枯れ木の下で座禅をされていました。どうして青々と茂った木の下でお座りにならないのですか」と尋ねた王に対し、お釈迦様は、「親族の蔭はことさら他の物に勝る」と仰いました。「枯れ木」とは滅び行く釈迦族の例えであり、釈迦族への愛情をしめされているのでしょう。しかし、釈迦族を攻め滅ぼされてしまいます。
それを知ったお釈迦様は「沈潜」されたと経典に記されます。この行動がお釈迦様が政治にかかわった唯一の行動だと言われます。釈迦族の「ほこり」が「おごり」となり、それが「滅び」への原因となったということなのでしょう。
お釈迦様は、このような言葉も残しています。「怨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに怨みの止むことなし。怨みを捨ててこそ止む」。
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第132回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/5/21
今から30年以上も前、私は、道なき大久保山に登ろうと、早朝大月駅前でひとりバスを待っていました。駅の中へと通勤の人々が吸い込まれていきます。
すると突然駅前に、まだあどけなさが残る男性が現れると、「朝のお忙しい通勤の時、失礼致します。私は○○県からやって参りました□□です」と絶叫し一礼した後、緊張した面持ちで「額に汗して作った物は $£%&*§ くよくよするなよ ∇‰♭‡⇔∬」と大声で歌い出しました。声が割れてしまい歌詞の一部しか聞き取れません。私は何が起きたのかあっけにとられてしまいました。
歌い終わるとその男性は、少し離れた電柱の蔭に立つおじさんをじっと見つめています。おじさんは手で丸を作り、「OK」のサインを出しました。男性はホッとした顔をして小走りに去っていきました。
目の前のお店のご主人に伺ったところ、集団就職でこの地にやってきた子たちで、毎年4月に行われることだとか。少し前まで高校生であった彼らに、もう今までとは異なる世界に生きていくのだという覚悟を抱かせるための「通過儀礼」なのでしょう。周囲の方の温かなまなざしを思い出します。
最近、この歌は「セールスガラス」という名で昭和54年駅頭訓練歌として作られたということを知りました。「額に汗して…」の続きは「額に汗して売らねばならぬ」であると知り、長年の疑問が氷解しました。
とここまで記しましたが…、今なら「パワハラ」と呼ばれ歌詞も「時代遅れ」と言われるでしょう。といっても私は何か郷愁のようなものを感じてしまいます。みなさんはいかがでしょうか。
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第133回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/6/21
学生の頃、高尾山からどこまで歩けるのか?チャレンジしてみました。早朝高尾山を越えなじみある景信山から陣馬山、峠に下って急な尾根を醍醐丸へと登り生藤山、細かなアップダウンの笹尾根に入り土俵岳、槙寄山でギブアップ。三頭山を越え奥多摩湖へは行けませんでした。頭がボーッとし、足が棒になりました。総距離約35キロ。
当時は、いかに早く登るのかばかりを考えていました。コースタイムの半分を目指してガンガン歩き、もちろん抜かれたら抜き返す。自分の体力が着実に付いている実感、未知の世界を切り開いていく快感に酔っていたのでしょう。楽しい時代でした。
そんな時、年配の方々を連れて山に行きました。歩くペースが合いません。みなさん、風が心地よいと足を止め、とんぼが舞っていると空を見上げます。そうして「せっかくこんな綺麗に花が咲いてるのにもったいない。あなたもじきに花の美しさが分かって来るようになるわよ」と言われました。
今、たまに山に登ると、つい道端に咲く花に目が留まり、「ああきれいだなぁ、かわいいなぁ」と思うようになりました。力が落ちてくると見える風景が異なってくるのでしょう。以前のように「長く」歩き、「強く」登ることはできませんが「深く」味わうことはできるようになるのかもしれません。人生のそれぞれのステージで楽しみ方があるのだとも思います。私もきっと花や鳥と「共感・共鳴」する力がついてきたのだ、と思いたいです。
ああ、また山に行きたいな。今まで登った山の思い出を浮かべながら、ゆったり山を楽しんでいるこの頃です。
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第134回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/7/21
「自立とは『依存先を増やすこと』」。自立とは他に依存しないことだ、と習ってきた方が多いのではないでしょうか。ちょっと不思議な感じを覚えますね。
小児科医で大学教員の熊谷晋一郎先生は、子供の頃、脳性麻痺となり、電動車椅子のユーザーとなりました。先生は、東日本大震災の時、5階にある研究室から逃げ遅れてしまった。それはエレベーターが止まってしまったから。他の人はエレベーターが止まっても、階段やはしごで逃げることができる。しかし、熊谷先生には、逃げることを可能にする「依存先」が一つしかなかった。
健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと思われています。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていないということなのだと仰います。「自立」とは多くの物に依存しているのに、一つひとつへの依存度を浅くしているため、何にも依存していないかのように錯覚できる状態をいうのだとお話しなさいました。
さて、コロナ禍の只中にいる私たちも様々な「障害」が生じ不自由になった存在に他なりません。外に出るな、人と話すなと言われた時期は突然「依存先」がなくなり、心が不安定になりましたね。
じょうじゅいんモグモグ食堂は、コロナ禍に入ってから弁当持ち帰りで継続しています。あの外出自粛の時、月に一度ママや子供たちに会うのはホッとするひと時でした。この活動は参加される方々を「助けている」ように見えますが、じつは私たちも「助けられている」のだと実感いたしました。
「自立とは『依存先を増やすこと』」。お寺もみなさんの「依存先」の一つになれればと思います。
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第135回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/8/21
街に戦禍の跡消えやらぬ昭和25年、浅草の外れ隅田川のほとりに「蟻の街」が誕生しました。「蟻の街」とは、戦火の為に家や仕事を失った人々が、廃品回収を生業とし共に暮らした街です。ひと頃は150名を超える人が住んでいたとうかがいました。
街はおよそ600坪、周囲を簡素な塀で囲まれていました。中心には屋根に十字架を据えた教会が、食堂や公衆浴場(ドラム缶風呂)、洗濯場、倉庫などの建物が建っています。門を100台の大八車や5台のオート三輪がせわしなく出入りし、中では運び込まれた物を分類する人、運ぶ人、値踏みする人、売りさばく人と役割を分担し、まさに「蟻のように」目まぐるしく働いていたのです。
仕事のないときは、皆で軽く一杯やりながら夕涼みをしたり、子供たちと運動会を行ったり、囲碁将棋に興じたり、青空の下髪を刈ったり…。なんと「蟻銀行」もあったとか。仕事の手間は全て渡すのではなく、貯金を推奨したのです。「蟻の街」は、困難に直面し心折れそうになった人々を支え、癒やし、力を取り戻させる、母の胎内のような「楽土」だったのでしょう。
それから10年が経ち、「蟻の街」は深川8号埋立地へと移転します。しかし、市街地から遠いことや高度成長期に入ると日雇い労働などがもてはやされたこともあり、次第に人が少なくなっていきました。人心が荒れた暗い時代に発せられたひとときの「きらめき」でした。
「蟻の街」があった場所は、土が盛られ桜が植えられ「築山」と呼ばれています。そして、今も炊き出しが行われています。土地には昔の記憶が刻み込まれているのでしょうか。
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第136回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/9/21
以前にもご登場頂いた、小児科医の熊谷晋一郎先生、子供の頃、脳性麻痺となり、現在は電動車椅子のユーザーです。
先生が生まれた1970年代、脳性麻痺は早期にリハビリをすればほぼ治ると言われたそうです。よって、物心つく前から、座位、膝立ち、片膝立ち、立位など「健常な」姿勢をなぞる訓練を、また寝返りの打ち方、茶碗の持ち方などの日常における「健常な」ふるまいを反復する訓練を、毎日、3度に分けて5、6時間行ってきました。母親からは常に監視され続け、思うような軌道で手足が動かないときは厳しく修正されたといいます。そして、「あなたはまだ努力が足りない」と叱責される。
母親は、「この子を何とかしなくては」「できるだけ苦労はさせたくない」という強い愛情ゆえ必死にリハビリを行ったのでしょう。ちなみに仏教では「愛」とは執着です。自分を縛り付けるものであり、相手を縛り付けるものでもある。
最近「愛より理解」という言葉と出会いました。「理解」とは、双方向の運動です。「どうして」と尋ね、返ってきた「答え」を味わいそして考え、次の問いを発する。その繰り返しによって少しずつ「理解」が深まっていくのです。
「愛」を一方的な注ぐのではなく、何を心地よいと思っているのか、何が好きなのかを聞き出し「理解」することが必要だったのでしょう。
「愛より理解」この言葉は、私たちそれぞれが、噛みしめ、味わい、栄養としなくてはならないことばでありましょう。
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第137回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/10/21
思い返せば、一度目二度目の新型コロナワクチン接種の時期は、会う人会う人、副反応について語り合っていました。痛くて肩が上がらないとか、40度を超える高熱が出たとか、全身だるくて会社を休んだなど。私は腕がちょっと痛い程度、効いているのか不安になる程で拍子抜けでした。
子供の新型コロナワクチン接種が始まりました。ワクチン接種の会場では、注射がいやだ!と大泣きする子が続出。看護師さんたちはだいぶ苦労しているようです。
先生の中には、泣き叫ぶ子供を前に「ほら、腕を押さえて動かないようにして」と指示する方もいるとか。看護師さんたちは必死に腕を押さえつけるものの「ヤダ、ヤダ」とさらに手足をばたつかせ、大変な状況に。結局ワクチンを打たずに帰ってしまう子もいるそうです。
いろいろ頓智を利かせ落ち着かせる先生もいるそうです。「一回目より二回目は全然痛くないって知ってた?あれ、知らないの?」と言ったり、「君には髪の毛よりも細い針を特別に使ってあげるね。でも友だちには内緒だよ」とか、「今日は新しく開発した針のない注射をするからね。ちょっと向こうを見ててね」など。それまで泣いていても泣き止んで、看護師さんに腕を委ねる子も多いとか。
また、別の先生は「そんなに注射がいやなら無理にしなくてもいいよ。でも、今日打っておいた方がいいと思うけどなあ。ちよっと考えてみてよ」と考えさせると、「56秒経ったらやってもいい」とのこと。「じゃあ、56秒数えたら注射するよ」、「1、2、3、4…」子供はおとなしく注射をさせたそうです。
やはり、強制的に押しつけるのではなく、自分で考えさせ、そして決定させるという方がよいようです。
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第138回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/11/21
越前の「ねこ寺」のドキュメントを見ました。ご先代がたいそうな猫好きで捨て猫を保護し、また譲渡会も行い、350匹もの猫を救ってきたとか。ただいま雲水さんとともに16匹の猫が住んでいます。
休日ともなると近県からも車で大勢の方が猫に会いにやってきます。猫たちはベンチで寝そべっていたり、人の膝のうえで寝ていたり…撫で撫でされても、カメラを向けられても、子供たちに話しかけられても悠々と過ごしています。訪れる方もひととき心癒やされてお帰りになるのでしょう。
ある人はストレスで仕事を休んでいた時、ここに通うようになりました。自由気儘に自分の好きなように生きている猫を見て、自分も肩肘張らずに生きていくのがよいかと思えるようになったそうです。
また、毎日通っているというご近所の方は、「猫も生きていくのが大変そう」と。喧嘩番長の風太は、ひどく殴られたことにショックを受けボス猫の意識が薄れ、愛されたいという気持ちが芽生えたようで、人にすり寄ってくるようになったそうです。
人が苦手なのか、猫が苦手なのか、境内に入れず一匹離れて過ごす猫もいます。ペンチの下から出てこようとしない猫は、人のことは嫌いだけど、でも人のことは好きという「こじらせ系」とか。
よく目をこらせば、16匹の猫には、それぞれの生き方がある。味わい深いですね。訪れる人々も自らの生き方を猫に投影して心寄せているのでしょう。
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第139回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/12/21
おかざき真理作『阿・吽』(小学館)14巻完結!「阿吽」とは、弘法大師空海と伝教大師最澄のこと。混乱の平安初頭を舞台に、政界や南都仏教界も巻き込んでの人間模様が描かれます。
物語の中で、最澄は弟子たちに「全世界を救います」と高らかに宣言し、刃を突きつけられ命が脅かされた時でさえも「救います!それでも私は皆を救います!」と絶叫します。
しかし、物語には、最澄の荷に糞尿をいれる僧、女犯繰り返す僧、食べ物を奪うため人を殺める者も描かれます。また、飢饉で死にゆく者、天災で生きる場を失う者、遷都による工事で消尽してしまう者がちらりと描かれます。さらに、物語の外には、四苦八苦にさいなまれる衆生があまたいる。
『法華経』では「生きとし生けるものは悟りを得ることが可能である」と説き、『涅槃経』では「生きとし生けるものは仏性を自らの中に持っている」と説きます。
「生きとし生けるものを救う」という言葉を我が身体に重ね合わせると、圧倒的な高さで目の前に立ちはだかります。どのような手立てによって「救う」のか?何を持って救ったと言えるのか?
お勤めでお唱えする「五大願」には 「衆生は無辺なれども誓って度せんことを願ふ」とあります。伝教大師最澄の言葉とぴったり重なります。この言葉は、「願い」であり「誓い」でもある。暗闇の中で足下を照らし、不安な心をふるいたたせ先へと導く言葉なのです。
『阿・吽』を読了し、「誓願」という語がぐっと身に刻まれた思いが致しました。お釈迦様は「ただ犀の角の如く独り歩め」と仰っています。ただただ愚直に精進を重ねて参りましょう。