2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第164回
第164回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/1/21
学生の頃、高山病になり意識不明、ヘリで病院に搬送・入院したことがありました。真夜中、隣の人がブザーで看護師さんを呼び出すと「薬をまだ飲んでないんだよ。お前じゃだめだ!医者を呼んでこい」と切れています。看護師さんは、「お薬はちゃんと飲んでいますよ」「ごめんね」と何度も謝っています。私は理不尽な態度にイライラ。また、どうして「ごめんね」と謝るのか分かりませんでした。
我が家でも母の「在宅介護」が始まりました。数ヶ月入院していましたが、人と話すことも少なく、天井ばかりを見ている毎日、見舞いに行っても言葉が少なくなり、反応もか弱くなっていきました。
家に帰っての暮らしでは、ベッドの角度を上げると「痛い」、おかゆに薬を混ぜて飲ませると「甘くてまずい」、マッサージをすると「苦しい」など。マイナスの感情が言葉になって放たれます。
そんな時、どんな言葉を返すのか。「ごめんね」「どう痛いか分かってあげられなくて」、「ありがとう」「おいしくないのに食べてくれて」、「苦しいね」「どう苦しいの」。
まず、高ぶった心を鎮めること。「ごめんね」「ありがとう」はいったん相手の心を受け止める言葉。あなたのしんどい今に寄り添いますよ、という意味なのですね。この言葉を仲立ちに会話が紡がれていくのです。言葉が交わされ心が動くことにより、少しずつ心が柔らかになり、生きる力が湧いてきたように思えます。「食卓に行きたい」「本堂でお参りしたい」など。へらず口もだいぶ復活しました。いつくしみは智慧が溶け込んでこそ、発動するものなのですね。
数十年前のモヤモヤした疑念に、ようやく言葉が与えられ、スッキリいたしました。