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2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第173回

 第173回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/10/21  フランス人の友人ルネさん曰く「パリでは肩のいかつい男性が人を避けもしないで町を歩いているので気を付けなくてはならない」「パリの町はゴミが多くて汚い」「地下鉄では物を取られることがあるので絶対寝ることは出来ない」と。さらに、「日本はとても親切で綺麗、生活に慣れてくると地下鉄でもウトウト寝てしまいます。でもバリに帰ったら寝なくなるでしょう」とのこと。  成就院の近くにもホテルがたくさん建ち、外国人観光客が大勢歩いています。中には首からカメラを下げパチパチその辺りを撮っている姿も。果たして何を撮っているのでしょう。  SNSに外国人旅行者が投稿した写真がアップされてきました。何気なく開くと、そこには歩道橋の上から撮った道行く車、毛糸の赤い帽子をかぶっている小さな人形、整然と並べられた自転車置き場、家の前を彩る植木鉢の群れ…。私たちの身の回りにあるごくごくありふれた風景が切り取られています。  コメント欄には、 「日本最高」という言葉の後ろに「平和!」と記されていました。なんとそれに何百という「いいね」が。写真をアップした人のみならず、「いいね」を付けた人の中には、きっと普段は厳しい環境の街で生活する人もいるのでしょう。  私たちの暮らしには、もちろんしんどいこともいろいろあります。でも「平和」というキーワードを通して眺め返してみると、日常の当たり前の風景が、別の色合いに見えてくるにちがいありません。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第172回

 第172回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/9/21  群馬県の桐生市に、月に一度2時間のみ営業という「冥土喫茶」が誕生しました。といっても「メイド」には「冥土」の字が当てられます。冥土(メイド)さんの応募資格は、65歳以上で「喪え喪えキュン」ができることだそう。ちなみに「もえ」には「喪え」の字を当てます。  お店入口にある、模造紙に青のビニール紐を何本も敷きつめた「三途リバー」を越えると、フリフリエプロンとカチューシャを付けた冥土さんがお出迎え。「川を渡るときに足を滑らせると地獄に落ちてしまいますので気をつけてくださいね」と優しくアドバイス。冥土さんの胸には「ネネ」「デコ」「あんず」などの名札が。「これは何ですか」と尋ねらると、「戒名です」と答えるメイドさんもいるとか。  メニューは「冥土弁当」。地元産のお米を使用したおにぎりと、味噌汁、煮しめ、ドリンクバーがついて800円。体に良い食事で寿命が延びそうです。ドリンクバーには「血の池ジュース」と名付けられた「しそジュース」も。お水は「お清めの水」をと呼ぶそう。細部まで造り込まれていますね。  いよいよ配膳の時に、冥土さんが、手をハート形に丸めて「喪え喪え、キュン。おいしくなあれ」とおまじない。冥土さんもお客さんも、明るく楽しそうです。  役割が与えられ、居場所が出来て別人のように明るくなったという冥土さんがたくさんいるそう。私は、互いにアイデアを出し合い、もっと面白く「改良」されていくのが体感できることが元気の源なのではないかと思います。「躍動していると感じ」を得ることが瑞々しい心を育むのでしょう。一度訪問したいですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第171回

 第171回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/8/21  愛犬モモちゃんは家が大好き。私の机下にあるクッションに横たわり、日がな一日人を観察していました。しかしこの数ヶ月、昼は、自ら進んで玄関のひんやりした床にじっと寝そべっています。  夜は、在宅介護の母とモモちゃんと一緒の部屋で寝ていますが、深夜に何度か、ペチャベチャ音を立てて水を飲んだかと思うと、体をブルブル震わせたり、キーーとか細い声で鳴いたり、ノシノシ歩き回ったかと思うと、数度足の裏をペロリ、ぐっと我慢していると次には顔と頭をベロベロ攻撃です。完璧に起こしにかかってきます。なんともうすら眠い日々が続いています。たまりません。  イヌ友のベテランママに相談すると、「絶対、何か理由があるのよね。それって夜じゃないと自分がパパやママを独占できないということじゃないかしら」とのこと。  確かに母の在宅介護が始まり半年。家族の目が母に行ってしまったため寂しかったのでしょう。その日からギューッとロングだっこ。その間耳元で「かわいそうだったね。モモはいい子だよ」とささやきかけました。すると、体重をすべて預けうっとりとした目をしています。  自分の存在を、まるっと包まれ、大切にされているのだという感覚。自分はここにいて良いのだという安心。これが生きていく上でのベースなのですね。  「寂しさ」から、諸々の問題行動が生じてしまう。もちろん、それは人間も同様なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第170回

 第170回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/7/21  「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄さんが通っていたリハビリ病院でのこと。施設に入ると、明るい声で「今日も一緒に頑張りましょう」と利用者の方々にお声がけをされていたとか。みなさん、あこがれのスターと対面したうえ、直接励ましを受け、さぞリハビリに力が入ったことでしょう。素敵ですね。  母の在宅介護が始まって6ヶ月、言葉も少なく表情も乏しかった当初に比べ、力が戻り、切れある言葉を紡げるようになりました。ベッド上での生活ですが、明るい雰囲気で辺りを和ませています。  「顔色がいいですね」には「ほめたって何もでないよ」と、「お年はおいくつですか」には「86です。若く見えるでしょ」と。決して若くは見えません。  食事は、介護食や、煮こごり、ゼリーなど。だいぶ食べられるようにはなりました。食べるとき、「どうだ」「ああまずい」「こっちは」「もっとまずい」「これは」「今までで一番まずい」と顔をしかめます。  マッサージの時は「もちょと上」「もちょっと右」「ここなのか」「どこかよく分かんねーよ」と。 「桃栗三年。続きは何ですか」「柿…、続きは?」「柿の種」。なんか、ことわざ辞典にある気が致します。  ユーモアは自らに籠もりがちな時に人とつながる力を与えてくれます。介護スタッフの方も、だいぶ元気になったと喜んでくれています。ベッド上の生活でも役割を果たすことができるのですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第169回

 第169回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/6/21  数年前のこと、体調が悪いと寝ていた母に呼ばれると、「お腹がはれている」ので見てほしい、とのこと。寝間着をめくると、不自然なほど下腹が膨らんでいます。驚いて救急に問い合わせると「腹水がたまっているのでしょうが、救急車を呼ぶほどでもない」との回答がありました。  翌日、かかりつけ医に連れて行くと、開口一番看護師さんに「どうしてもっと早く連れてこないの!」と怒られました。帰宅してよくよく思い返せば、なんと数ヶ月前には診療を受けていたのです。  半年ほど前、いよいよ、在宅介護が始まろうという時、我が家に医療スタッフが集まり今後の対応を協議して下さいました。お医者さん、訪問看護師さん、ケアマネさん、言語療法士さん、リハビリの方など総勢8名。皆さん、対等に議論を重ねている姿が印象的でした。最後に担当医から一言、「これからみんなで福田さんを支えていくんですよ」と。とても心強く、涙が出そうになりました。  在宅介護がスタートしましたが、いろいろなミスもあります。何度か毎日9時の点滴交換をうっかり忘れてしまいました。チューブに空気が入ると看護師さんの手を煩わさねばなりません。不思議と日曜日が多い。電話をすると一時間後に、当番の看護師さんがご自宅から駆けつけてくれました。 申し訳なく沈んでいると、明るくからっとした声で、「気にしないで下さい。完璧な人なんていませんから。手助けするのが私たちの役割ですから」と。  困ったとき隣にいてくれる。顔を見るとホッと安心する。ありがたさをしみじみ感じる日々なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第168回

 第168回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/5/21  教員時代、生徒から「どうしたら成績が上がるのか」との質問が。私は「試験前、友だちに勉強を教えてあげるといいよ」とアドバイス。人に説明するには、内容をしっかり理解したうえ、要点をまとめ簡潔に説明するという作業が必要なので、自分の中で理解が深まり、定着が進むのです。  人生相談を読んでいたら「小学校1年生から5年生までの記憶が丸々ないのです。そんなことってあるのでしょうか」という質問が。先生の回答は「その間、家庭であなたの話を聞いてくれる人が誰もいなかったのですね」とのこと。なんと、自分は記憶力が弱いという訳ではなかった。  モグモグ食堂に毎月参加のS君、小学校低学年の頃は、食事中も食べ終わった後も、ママにその日にあった出来事を息つく暇もないほど話し続けていました。弟が割り込もうものなら、かぶせてさえぎりマシンガントーク。中学生になった今はすっかり寡黙に。でも、子供の頃の記憶は豊かに残っているのでしょう。  体験を人に話すとき、頭の中で出来事を時系列に並べ替え、エピソードを取捨選択しているのです。体験は人に話すことによって定着し「記憶」が形成されます。会話を重ねることにより、「記憶」がより立体的になっていく。さらに話しながら別の発想が紡がれることもあります。話すとは不思議な行為ですね。  今の「私」を形作っているものは過去の「記憶」です。自らを深めて行くには、家族や友とたくさん語らい良い「記憶」を積み重ねて行くことが大切なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第167回

 第167回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/4/21  4月8日は、釈尊のお誕生を祝う「花まつり」。成就院も門前に花御堂を出し、甘茶とお菓子の御接待を致します。この良き日に夫の供養にと巡礼に訪れたAさん。門前でいろいろお話しを伺いました。このご縁で、毎月毎月「やすらぎ修行会」、「モグモグ食堂」に参加頂くようになりました。  お料理上手なAさん、楽しくおしゃべりをしながら丁寧に料理を作って下さいます。まったく調理経験がないスタッフの「作品」をチラと見ると、小声で「思ったような物が出来あがらないのも大変ね」と労ってくれました。子供たちが流しにトレイを持ってくると、目線を下げ「よく食べてくれてありがとう。運んでくれて偉いね」と声を掛けてくれました。その後黙々とプレートを洗っている姿が印象的です。    コロナ禍に入り交流が途絶えてしまいましたが、6年ぶりにお電話があり、ご子息の車で来てくれました。現在要介護5で車椅子でないと外出はできないとのこと。成就院HPからプチ法話を読み、私の母親が在宅介護であることを知り、いてもたってもいられず来てくれたそうです。とにもかくにも、直接声を掛けたい。再会を喜んだ後、耳元で「体はだいじょうぶですか」と労って頂きました。「モグモグがほんとうに楽しかった」とも。大きな慈愛の光を注いで頂きました。  次々回6月の「やすらぎ修行会」は土曜日の実施。ご子息はお休み。ぜひ車で来て本堂の外からでも一緒にお参りしたい、明日からそれを目標に過ごしたいとのこと。こんなにお寺を大切に思ってくれている、住職をつとめてほんとうに良かったと思ったひとときでした。