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第182回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/7/21

 施餓鬼会とは、読んで字の如く、「餓鬼たちに飲食を施す儀式」です。でも、お盆と重ねて行われることが多く、先祖供養の行事とイメージされる方も多いでしょう。果たして「施餓鬼会」には、どのような意味合いの行事なのでしょうか。 ある夜、釈尊の十大弟子の一人で多聞第一と呼ばれた阿難尊者の前に、口から火炎を吐く恐ろしい餓鬼が現れ、「お前は3日後に死んで、餓鬼の世界に生まれ変わる」と告げました。驚き恐れた阿難尊者は、釈尊のもとを訪ねると、餓鬼に飲食を施すよう指示し、少量の供物を無限に増やす「陀羅尼」を授けました。阿難がその通りに実践すると、餓鬼たちは安らかな世界へ導かれ、阿難自身も寿命を延ばすことができたというお話しがあります。これが「施餓鬼」の起源とされます。 阿難尊者は、餓鬼道に堕ちないための解決法を釈尊に求めました。しかし、釈尊は、「自分だけが助かる方法」ではなく「見えないところに苦しむ無数の餓鬼たちと共に助かる方法」を授けました。これこそが施餓鬼の要点といえます。 塔婆供養をする身近な方々だけでなく、名も無き誰かにも思いを致し、御功徳を振り分ける、これが「施餓鬼会」の意味合いなのです。 「勤行式」の最後「願はくは、この功徳を以て、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」とお唱えします。「お経をお唱えした功徳を、自分だけではなく、すべての存在に振り分ける」ということ。 「自分の幸せ」と「他者の幸せ」を切り離さないという考えが、仏教の根底に流れているのです。

第181回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/6/21

  「スクールカースト」とは、容姿や学力、スポーツ能力等によって、暗黙のうちにクラスの中に形成された序列をいうそう。「一軍」-クラスの中心で目立つグループ、「二軍」-最も人数が多く、静かに生活している層、「三軍」-からかわれやすく孤立しがちな層。自分の立ち位置を気にしながら、日々を過ごすのは息苦しいですね。でも、時が経てば、そこからは解き放たれます。   インドには古来から「カースト制度」呼ばれる慣習があります。「カースト」とは、「バラモン」-司祭者を最上として「クシャトリヤ」-王族、「ヴァイシャ」-商工業、牧畜、農業、「シュードラ」-上の三つに奉仕する隷属的な身分、そして「アウトカースト」と呼ばれる不可触民。職業は世襲であり、別のカーストの人とは、食事を共にすることさえできず、況んや結婚・恋愛については言うまでもありません。1945年には法律で差別を禁止したものの、まだまだ慣習として根強く残っているそうです。   紀元前5世紀に生きた釈尊はこんな言葉を残しています。「生まれによってバラモンになるのではない。行いによってバラモンになるのだ」と。社会を成立させる基礎的な条件であった「カースト制度」を頭から否定しました。  「結果」には「原因」がある。その「原因」をもたらしたものに、さらなる「原因」が…。望ましい「結果」にも、望ましくない「結果」にも必ず原因があると釈尊は説かれました。   「いま」は過去の原因がもたらしたもの。「未来」は、「いまここ」の出来事の積み重ねで変えることができる。それでは私は「いま」何をなすべきなのか、沈思黙考し、そして行動いたましょう。

第180回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/5/21

  「昭和には当たり前であったもの」というテーマでひとしきり盛り上がりました。黒電話、ポケベル、赤チン、電車の吸殻入れ、ナウい、ミーハー、月賦、一気飲み、30分前集合…。物や言葉、考え方、習慣などなど時を経て大きく変りましたね。これからもまた変わっていくのでしょう。   我が心身も同様、昔の写真を見ると、体型や顔かたちも変わりましたし、もちろん中身も。それではこの変化はいつ起きたのか?それはいつとも定め難い。常に変わっていると考えざるを得ません。  すべてのものが常に移り行くことを「諸行無常」といいます。「無常」の語に、負の色合いが付いているように感じがちなのは「失うこと」「壊れること」に不安を抱くからでしょう。人間関係、地位、財産、評価など、「無常」なのにもかかわらず執着してしまうため、人生は悩みに満ちているのです。  それでは 「無常」の世を、よりよく生きるためのヒントとか何なのか。変わっていくものを「変わってはいけない」と握りしめることで執着はより強くなっていき、痛みもより強くなっていく。それぞれが握りしめている力を緩めてみる。まず自身の心を観察すること、何にこだわっているのかを知ることがスタートです。  ひとつひとつの呼吸を意識してゆっくり歩いてみましょう。食事の際、目をつぶって味をさぐってみましょう。一瞬一瞬をいとおしむように生きれば、日常の中にキラリと光る宝が見つかるかもしれません。

第179回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/4/21

 あるホームレスの方が、こう呟きました。「何がこわいかって、1人で逝くのが一番こわい。だってあの世でずーっと一人だよ。ずーっと暗闇なんだよ」と。家族との関係を絶たれ、帰るべきふるさともない。この世でも、そしてあの世でも「無縁」。どうこの世を旅立っていくのか。  北九州を拠点とするNPO法人「抱樸」。炊き出し、パトロール、自立支援住宅、就労支援に止まらぬ幅広い活動を重ねています。「葬送」については互助会を組織し、普段から誕生会や旅行などで交流を重ねているそう。お別れの時は、「共に生きた仲間」として一緒にすごします。   遺影やご遺骨は、連携している教会の、高い天井から光が差し込む礼拝堂脇の小さな部屋にご安置され、年に一度の「偲ぶ会」では、遺影とともに、これまで亡くなった故人の名前が記された横断幕が壁に張り巡らされ、亡くなった方の「ストーリー」を知っている方が、皆の前で思い出話を語ります。故人が確かに「生きていた証」を皆で共有するのです。最後には「ありがとう」という感謝の言葉や「安らかに」という祈りの言葉が捧げられたとか。  「葬送」とは、個人の尊厳や生き方と深く結びついた営みです。本来、事業として設計され、ビジネスとして展開されるべきものではありません。日常の「つながり」の積み重ねの延長に自然と起ち上がってくるもの。「家族」ではないけれど「共に生きた仲間たち」に見送られる。それが合わせて、その場に参列した方々の「安心」や「支え」にもなっているそうです。   「おひとりさま」という言葉をよく耳にする昨今、「どうこの世を旅立っていくのか」という問題は、ホームレスの方々だけの問題ではありません。

第178回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/3/21

  気仙に通うようになった頃、こんなお話しを伺いました。「大きな地震の後、津波が来ると高台の方へ必死に逃げたの。JRの線路に上って私は右に逃げたから助かった。その時左に逃げた高田高校水泳部の生徒や先生は津波にさらわれて…いったい生死の境目とは何なのでしょうか」と。   気仙三十三観音徒歩巡礼を始めて14年、もっと地元の方に霊場を知ってほしい。お世話になった皆さまにお礼の思いを伝えたい。観音さまから頂いた御功徳をお伝えしたい。そんな思いから地元誌「東海新報」に毎週1200字のエッセイを連載することにしました。観音霊場との出会い、霊場の踏査、仏像の修復、マップの作成、御堂の再建などなど。今週で54回を重ねました。  中でどうしても書きたいことが。それは普門寺墓地奥に造られた身元不明者のお墓について。石板には「矢作小」などの遺体安置所の場所とともに「No○○」という番号が刻まれています。その数14基。同行の方から 「彼岸やお盆の時、周囲のお墓には花や線香が手向けられているのに、そこはひっそり寂しい。ぜひ読経をしてほしい」とのお話しがあり、毎度立ち寄ることになりました。   そのエッセイを高田高校水泳部顧問のお母様が読んでくれました。「私達にとってはありがたく鼻の奥がツーンと、、、そして胸がジーンと熱くなりました。普門寺参道の堂々とした美しい佇まいにどれほど助けられたか…。今でも普門寺墓所にある慰霊碑と身元不明者の墓標で手を合わせるーそんな15年を過ごしています。あの場所がある意味娘に一番近い場所、そこから望む広田湾も優しく〜ホッとする場所です。ありがとうございました🙏💕」ありがたいメッセージが届きました。  思い続け体を動かし続けると思いが届くこともある。「縁起は思ひ難し」を実感した瞬間でした。

第177回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/2/21

   山の中は、地形や標高、周囲の樹木の状況などで、電波が届きにくい。生徒と山登りをしていると、休憩の度にスマホを取り出しては、電波のマークが1本とか3本とか、ドコモが一番山に向いているなどワイワイ話していました。山に来ていても、スマホの呪縛からは逃れられません。   とある大学の先生がこんな課題を出したそう。「僧侶のごとく静かな時間を」というもの。一日中何の予定も入れず、スマホの電源を切って、「静かに時を過ごし」、気がついたこと、感じたこと、考えたことをその都度日記に記し、最後に経験全体に対する感想とともに提出するというもの。普段落ち着かない暮らしをしている私は、「僧侶のように」という記載を見てちょっと恥ずかしくなりました。  寄せられた感想には、初めは「急に時間がぽかんと空いたように感じた」「何をしたらよいか分からなかった」けれど、馴れるに従い妙な開放感を覚えたという学生が何人もいたそう。久しぶりに小説を手にしたり、近所を散歩し新たな発見をした人。鳥の鳴き声を耳にして感動したという人も。  歩いているとき、電車に乗っているとき、友達といるときも、いつもスマホ通して、動画を見たり、ゲームをしたり、音楽を聴いたり…スマホを手放すといろいろなコトやモノが目に耳に入ってくるのです。  ただし、24時間が経ちスマホの電源を入れたところ、250本ものラインが溜まっているのを発見! スマホからちょっと距離を置くことさえなかなか容易なことではありません。

第176回「やすらぎ修行会」プチ法話 2026/1/21

  高校2年の夏休み、理由は覚えていませんが、とにかく入魂の「読書感想文」を書いてみようと決心しました。相対する作品は大岡昇平著『野火』。  敗色濃厚なフィリピンの戦線において、部隊からも病院からも排除された主人公田村は、病と飢えにさいなまれながら、野火が燃え広がる山野をひとり彷徨います。絶望の中でも生への執着は消えることはない。あるとき猿の肉だと口に入れられた干肉を人肉ではないかと思いつつ食べてしまう…。極限状態における人のありようが記された作品です。   一ト月の間『野火』を何度読み返したでしょうか。生死の境をさまよう追い詰められたぎりぎりの世界と向き合い続けることのしんどさ、加えて物語の核心が見えてこないもどかしさ、なかなか考えがまとらないじれったさ。大切だと思う部分に蛍光ペンで線を引き、そして書き出し、分類分けをしました。そうすると厚い霧の中に隠れていた物語の筋が徐々に見えてくるよう感じました。   夏休みも終盤、「えいっ」と書き始めると、自然と文が紡がれ筆がどんどん進みます。少々手直しをして数日で完成。すべてを出し切った充実感が体を満たしました。大きな力を頂きました。   今は生成AIの出現により、「読書感想文」という宿題も成り立ち難くなっているとのこと。「『野火』の感想文を2000字で書いて!」とお願いすればあっという間に無難な感想文が出来あがってしまう。とても便利です。でも脳から汗水たらしてうんうんうなって「創って」いく、その過程で心が深まっていく。そんな貴重な経験を手放してしまうのはもったいないですね。

2025(令和7年)「やすらぎ修行会」プチ法話 第175回

 成就院のすぐ近くに「中国帰国者支援交流センター」があることを知り、日本語の授業に参加してきました。「何歳ですか」から始まり、「神社とお寺の違い」「お坊さんの一日のスケジュールは」「小乗仏教と大乗仏教の違い」など質問が浴びせられました。皆さん日本語はあまり理解できない模様。黒板に漢字を書きながら回答し、先生から中国語で補足も頂きましたが…。難しいですね。  子どもの頃、第二次世界大戦の後、日本へ帰る機会を失い中国で暮らしてきた「中国残留孤児」の帰国事業が大々的に報じられました。新聞には一面をさき、顔写真の下に住まう場所や親を探す手がかりが記され、ニュースでは親兄弟と肩を抱き喜び合う再会シーンが度々流れました。   彼らは、幼少時には「日本人」と侮られ、日本に来てからは「中国人」と揶揄される。日本で住むという決断をしたものの、異国の地では、習慣も、価値感も、何より言葉が違う。「孤立」を感じながらも助け合って生き抜いてきました。私がお会いした方々は、皆さんとても明るくパワフルでした。   「中国残留孤児」は「日本人」。では片親が中国人の場合その子は「日本人」「中国人」?。孫は?そう考えると、当たり前に使っている「日本人」という概念は、かなり曖昧なものだと気づきます。   昨今、「排除」の空気がより濃くなってきています。 「○○人」とラベルを貼るのではなく、「△△さん」という固有の存在としてお付き合いしたいですね。   授業の最後には、教室中に「北国の春」が愛唱されました。皆さんに一番知られている歌だそう。きっと、故郷のなつかしい風景を思い浮かべながら歌っているのでしょうか。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第174回

 第174回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/11/21   現在、小・中学校では外国人ルーツの子が各クラス7,8人はいるそうです。国と国との垣根が低くなり、多くの人が国を跨いで行き交うようになった現況を考えると当然のことなのでしょう。   中国ルーツの子の半生についてお話しを伺いました。   小学校のとき、学校では「中国人」とからかわれたそう。給食にはゴミが入れられ喧嘩をしたことも。でも新たに中国からやってきた生徒の通訳をしてほしいと校長先生から頼まれ活躍したことにより、周囲の信頼を得て、いじめもなくなったとのこと。本人も役に立ったという自信を得ました。   中学生のとき、上履きに水が入れられたりと、何人もの生徒から根強いからかいを受け、怒り爆発、棒で殴ってしまいました。「暴力は悪い。謝りに行こう」という母に対し、「向こうが悪いのにどうして…」と反発。そんな時、母親の日本語が十全ではないことも飲み込み、担任の先生が一緒に謝罪行脚に同道してくれたとのこと。とても不安なとき、本当に心強く思ったことでしょう。   大学生のとき、教員との関係をうまく築けず、必修単位を落としてしまいます。「もう退学しよう」と自暴自棄に。そんな時、普段から話を聞いてくれた図書館司書の方々になだめられ説得され一年休学することに。冷静になった彼は無事大学を卒業し、学びを生かした会社に就職できたとのこと。   習慣も価値感も言葉も異なる世界で生きていかねばならない方々と共に生きて行くには?校長先生も、担任の先生も、図書館司書の方も、困っている時にそっと心を寄せて言葉を掛けた。「さりげない優しさ」ゆえ素直に受け入れることができたのでしょう。良き出会いは人生の宝物ですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第173回

 第173回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/10/21  フランス人の友人ルネさん曰く「パリでは肩のいかつい男性が人を避けもしないで町を歩いているので気を付けなくてはならない」「パリの町はゴミが多くて汚い」「地下鉄では物を取られることがあるので絶対寝ることは出来ない」と。さらに、「日本はとても親切で綺麗、生活に慣れてくると地下鉄でもウトウト寝てしまいます。でもバリに帰ったら寝なくなるでしょう」とのこと。  成就院の近くにもホテルがたくさん建ち、外国人観光客が大勢歩いています。中には首からカメラを下げパチパチその辺りを撮っている姿も。果たして何を撮っているのでしょう。  SNSに外国人旅行者が投稿した写真がアップされてきました。何気なく開くと、そこには歩道橋の上から撮った道行く車、毛糸の赤い帽子をかぶっている小さな人形、整然と並べられた自転車置き場、家の前を彩る植木鉢の群れ…。私たちの身の回りにあるごくごくありふれた風景が切り取られています。  コメント欄には、 「日本最高」という言葉の後ろに「平和!」と記されていました。なんとそれに何百という「いいね」が。写真をアップした人のみならず、「いいね」を付けた人の中には、きっと普段は厳しい環境の街で生活する人もいるのでしょう。  私たちの暮らしには、もちろんしんどいこともいろいろあります。でも「平和」というキーワードを通して眺め返してみると、日常の当たり前の風景が、別の色合いに見えてくるにちがいありません。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第172回

 第172回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/9/21  群馬県の桐生市に、月に一度2時間のみ営業という「冥土喫茶」が誕生しました。といっても「メイド」には「冥土」の字が当てられます。冥土(メイド)さんの応募資格は、65歳以上で「喪え喪えキュン」ができることだそう。ちなみに「もえ」には「喪え」の字を当てます。  お店入口にある、模造紙に青のビニール紐を何本も敷きつめた「三途リバー」を越えると、フリフリエプロンとカチューシャを付けた冥土さんがお出迎え。「川を渡るときに足を滑らせると地獄に落ちてしまいますので気をつけてくださいね」と優しくアドバイス。冥土さんの胸には「ネネ」「デコ」「あんず」などの名札が。「これは何ですか」と尋ねらると、「戒名です」と答えるメイドさんもいるとか。  メニューは「冥土弁当」。地元産のお米を使用したおにぎりと、味噌汁、煮しめ、ドリンクバーがついて800円。体に良い食事で寿命が延びそうです。ドリンクバーには「血の池ジュース」と名付けられた「しそジュース」も。お水は「お清めの水」をと呼ぶそう。細部まで造り込まれていますね。  いよいよ配膳の時に、冥土さんが、手をハート形に丸めて「喪え喪え、キュン。おいしくなあれ」とおまじない。冥土さんもお客さんも、明るく楽しそうです。  役割が与えられ、居場所が出来て別人のように明るくなったという冥土さんがたくさんいるそう。私は、互いにアイデアを出し合い、もっと面白く「改良」されていくのが体感できることが元気の源なのではないかと思います。「躍動していると感じ」を得ることが瑞々しい心を育むのでしょう。一度訪問したいですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第171回

 第171回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/8/21  愛犬モモちゃんは家が大好き。私の机下にあるクッションに横たわり、日がな一日人を観察していました。しかしこの数ヶ月、昼は、自ら進んで玄関のひんやりした床にじっと寝そべっています。  夜は、在宅介護の母とモモちゃんと一緒の部屋で寝ていますが、深夜に何度か、ペチャベチャ音を立てて水を飲んだかと思うと、体をブルブル震わせたり、キーーとか細い声で鳴いたり、ノシノシ歩き回ったかと思うと、数度足の裏をペロリ、ぐっと我慢していると次には顔と頭をベロベロ攻撃です。完璧に起こしにかかってきます。なんともうすら眠い日々が続いています。たまりません。  イヌ友のベテランママに相談すると、「絶対、何か理由があるのよね。それって夜じゃないと自分がパパやママを独占できないということじゃないかしら」とのこと。  確かに母の在宅介護が始まり半年。家族の目が母に行ってしまったため寂しかったのでしょう。その日からギューッとロングだっこ。その間耳元で「かわいそうだったね。モモはいい子だよ」とささやきかけました。すると、体重をすべて預けうっとりとした目をしています。  自分の存在を、まるっと包まれ、大切にされているのだという感覚。自分はここにいて良いのだという安心。これが生きていく上でのベースなのですね。  「寂しさ」から、諸々の問題行動が生じてしまう。もちろん、それは人間も同様なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第170回

 第170回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/7/21  「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄さんが通っていたリハビリ病院でのこと。施設に入ると、明るい声で「今日も一緒に頑張りましょう」と利用者の方々にお声がけをされていたとか。みなさん、あこがれのスターと対面したうえ、直接励ましを受け、さぞリハビリに力が入ったことでしょう。素敵ですね。  母の在宅介護が始まって6ヶ月、言葉も少なく表情も乏しかった当初に比べ、力が戻り、切れある言葉を紡げるようになりました。ベッド上での生活ですが、明るい雰囲気で辺りを和ませています。  「顔色がいいですね」には「ほめたって何もでないよ」と、「お年はおいくつですか」には「86です。若く見えるでしょ」と。決して若くは見えません。  食事は、介護食や、煮こごり、ゼリーなど。だいぶ食べられるようにはなりました。食べるとき、「どうだ」「ああまずい」「こっちは」「もっとまずい」「これは」「今までで一番まずい」と顔をしかめます。  マッサージの時は「もちょと上」「もちょっと右」「ここなのか」「どこかよく分かんねーよ」と。 「桃栗三年。続きは何ですか」「柿…、続きは?」「柿の種」。なんか、ことわざ辞典にある気が致します。  ユーモアは自らに籠もりがちな時に人とつながる力を与えてくれます。介護スタッフの方も、だいぶ元気になったと喜んでくれています。ベッド上の生活でも役割を果たすことができるのですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第169回

 第169回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/6/21  数年前のこと、体調が悪いと寝ていた母に呼ばれると、「お腹がはれている」ので見てほしい、とのこと。寝間着をめくると、不自然なほど下腹が膨らんでいます。驚いて救急に問い合わせると「腹水がたまっているのでしょうが、救急車を呼ぶほどでもない」との回答がありました。  翌日、かかりつけ医に連れて行くと、開口一番看護師さんに「どうしてもっと早く連れてこないの!」と怒られました。帰宅してよくよく思い返せば、なんと数ヶ月前には診療を受けていたのです。  半年ほど前、いよいよ、在宅介護が始まろうという時、我が家に医療スタッフが集まり今後の対応を協議して下さいました。お医者さん、訪問看護師さん、ケアマネさん、言語療法士さん、リハビリの方など総勢8名。皆さん、対等に議論を重ねている姿が印象的でした。最後に担当医から一言、「これからみんなで福田さんを支えていくんですよ」と。とても心強く、涙が出そうになりました。  在宅介護がスタートしましたが、いろいろなミスもあります。何度か毎日9時の点滴交換をうっかり忘れてしまいました。チューブに空気が入ると看護師さんの手を煩わさねばなりません。不思議と日曜日が多い。電話をすると一時間後に、当番の看護師さんがご自宅から駆けつけてくれました。 申し訳なく沈んでいると、明るくからっとした声で、「気にしないで下さい。完璧な人なんていませんから。手助けするのが私たちの役割ですから」と。  困ったとき隣にいてくれる。顔を見るとホッと安心する。ありがたさをしみじみ感じる日々なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第168回

 第168回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/5/21  教員時代、生徒から「どうしたら成績が上がるのか」との質問が。私は「試験前、友だちに勉強を教えてあげるといいよ」とアドバイス。人に説明するには、内容をしっかり理解したうえ、要点をまとめ簡潔に説明するという作業が必要なので、自分の中で理解が深まり、定着が進むのです。  人生相談を読んでいたら「小学校1年生から5年生までの記憶が丸々ないのです。そんなことってあるのでしょうか」という質問が。先生の回答は「その間、家庭であなたの話を聞いてくれる人が誰もいなかったのですね」とのこと。なんと、自分は記憶力が弱いという訳ではなかった。  モグモグ食堂に毎月参加のS君、小学校低学年の頃は、食事中も食べ終わった後も、ママにその日にあった出来事を息つく暇もないほど話し続けていました。弟が割り込もうものなら、かぶせてさえぎりマシンガントーク。中学生になった今はすっかり寡黙に。でも、子供の頃の記憶は豊かに残っているのでしょう。  体験を人に話すとき、頭の中で出来事を時系列に並べ替え、エピソードを取捨選択しているのです。体験は人に話すことによって定着し「記憶」が形成されます。会話を重ねることにより、「記憶」がより立体的になっていく。さらに話しながら別の発想が紡がれることもあります。話すとは不思議な行為ですね。  今の「私」を形作っているものは過去の「記憶」です。自らを深めて行くには、家族や友とたくさん語らい良い「記憶」を積み重ねて行くことが大切なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第167回

 第167回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/4/21  4月8日は、釈尊のお誕生を祝う「花まつり」。成就院も門前に花御堂を出し、甘茶とお菓子の御接待を致します。この良き日に夫の供養にと巡礼に訪れたAさん。門前でいろいろお話しを伺いました。このご縁で、毎月毎月「やすらぎ修行会」、「モグモグ食堂」に参加頂くようになりました。  お料理上手なAさん、楽しくおしゃべりをしながら丁寧に料理を作って下さいます。まったく調理経験がないスタッフの「作品」をチラと見ると、小声で「思ったような物が出来あがらないのも大変ね」と労ってくれました。子供たちが流しにトレイを持ってくると、目線を下げ「よく食べてくれてありがとう。運んでくれて偉いね」と声を掛けてくれました。その後黙々とプレートを洗っている姿が印象的です。    コロナ禍に入り交流が途絶えてしまいましたが、6年ぶりにお電話があり、ご子息の車で来てくれました。現在要介護5で車椅子でないと外出はできないとのこと。成就院HPからプチ法話を読み、私の母親が在宅介護であることを知り、いてもたってもいられず来てくれたそうです。とにもかくにも、直接声を掛けたい。再会を喜んだ後、耳元で「体はだいじょうぶですか」と労って頂きました。「モグモグがほんとうに楽しかった」とも。大きな慈愛の光を注いで頂きました。  次々回6月の「やすらぎ修行会」は土曜日の実施。ご子息はお休み。ぜひ車で来て本堂の外からでも一緒にお参りしたい、明日からそれを目標に過ごしたいとのこと。こんなにお寺を大切に思ってくれている、住職をつとめてほんとうに良かったと思ったひとときでした。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第166回

 第166回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/3/21  早朝、近くの公園には、ラジオ体操をするため大勢の方が集まっています。掃除をしている方、筋トレに励んでいる方、おしゃべりしている方、それぞれが朝のひと時を思い思いに過ごしています。体操開始。軽快なリズムにのって体を動かしますが、中には、手を動かしているだけで、体を反ることも、腕を伸ばすこともされていない方が散見されます。これって果たして意味があるのか?  母がベットの上で暮らす生活になり半年以上。今は、週に一度ずつ、理学療法士、言語聴覚士の方が訪れてくれます。体を動かさない暮らしは筋肉が固まってしまう。グーパーや、肩や膝を曲げたり伸ばしたり。「痛い」という時もありますが、だいぶ曲がるようになりました。  言語聴覚士の方は、「ぱたぱたぱた」「たからたからたから」「ぱたからぱたからぱたから」と発声の訓練、そして歌をうたったり…。以前は口をすすいだ後、水をゴクンと飲んでしまいましたが、今は勢いよくペッと吐き出すことができるようになりました。声を出すことで喉の筋肉が鍛えられるのです。  それと「巻き爪」が痛いとも。巻き爪となる原因の一つに「歩かない」ことがあるそう。歩いていると体重がかかり爪が平らになるのだとか。歩かないと爪の本来のカタチに育っていき「巻き爪」に。  ご飯を食べて、出掛けて、おしゃべりを楽しむ。このごく当たり前の日々の振る舞いが、生命を維持していくためのシステムを支えている。私たちの体とは、実に精妙なるメカニズムによって成り立っているのですね。  公園に行って、ラジオ体操をし、おしゃべりを楽しむ、それこそ大切なこと。「意味があるのか?」なんて思ってしまい、たいへん失礼をいたしました。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第165回

 第165回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/2/21   昨年12月、いよいよ母の在宅介護が始まろうという時、看護師さんから教えて頂いた「介護の心得」。①睡眠をしっかりとる、②少しずつやる、③介護をひとりで抱え込まない、④介護だけの一日にならないようにする。「介護」の語を「仕事」に置き換えれば「日々を過ごす心得」になりますね。  介護が始まると、食事の介助、薬を飲ませる、歯磨きをする、マッサージ、おむつや点滴の交換などなどやるべきことが増えます。また、お医者さん、看護師さん、言語療法士、理学療法士、入浴サービスの方々ありがたいことに毎日のように誰かが状況改善のため手助けに訪れてくれます。  さて「介護だけの一日にならないようにする」には?妻は数年前から興味を持つようになった幕末史のYouTubeを作業がてら次から次へと視聴しています。ちょっとした時間を見つけては、江戸城、後楽園、上野寛永寺、小塚原刑場跡など幕末史跡巡り。筋トレ動画を見ては、毎日腹筋、背筋、腕立てを。ヨーグルトを食べ、破損した筋繊維の修復に努めています。新たな事にチャレンジ!  私は、13年続けてきた、気仙三十三観音霊場徒歩巡礼の今までを、「エッセイ」という形で地元の方にお伝えしたいと執筆開始。一月半で1200字の原稿25本を書き上げ、いよいよ地元誌「東海新報」誌上での連載が始まりました。  昔から「忙中閑あり」といいます。綿々とやるべきことが連なっている日常ですが、心を向けて目をこらすと、ポッカリと「すきま時間」が見つかることもある。ささやかな楽しみを掘り起こし、自らの生涯に彩り加えていきたいものです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第164回

第164回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/1/21  学生の頃、高山病になり意識不明、ヘリで病院に搬送・入院したことがありました。真夜中、隣の人がブザーで看護師さんを呼び出すと「薬をまだ飲んでないんだよ。お前じゃだめだ!医者を呼んでこい」と切れています。看護師さんは、「お薬はちゃんと飲んでいますよ」「ごめんね」と何度も謝っています。私は理不尽な態度にイライラ。また、どうして「ごめんね」と謝るのか分かりませんでした。  我が家でも母の「在宅介護」が始まりました。数ヶ月入院していましたが、人と話すことも少なく、天井ばかりを見ている毎日、見舞いに行っても言葉が少なくなり、反応もか弱くなっていきました。  家に帰っての暮らしでは、ベッドの角度を上げると「痛い」、おかゆに薬を混ぜて飲ませると「甘くてまずい」、マッサージをすると「苦しい」など。マイナスの感情が言葉になって放たれます。  そんな時、どんな言葉を返すのか。「ごめんね」「どう痛いか分かってあげられなくて」、「ありがとう」「おいしくないのに食べてくれて」、「苦しいね」「どう苦しいの」。  まず、高ぶった心を鎮めること。「ごめんね」「ありがとう」はいったん相手の心を受け止める言葉。あなたのしんどい今に寄り添いますよ、という意味なのですね。この言葉を仲立ちに会話が紡がれていくのです。言葉が交わされ心が動くことにより、少しずつ心が柔らかになり、生きる力が湧いてきたように思えます。「食卓に行きたい」「本堂でお参りしたい」など。へらず口もだいぶ復活しました。いつくしみは智慧が溶け込んでこそ、発動するものなのですね。  数十年前のモヤモヤした疑念に、ようやく言葉が与えられ、スッキリいたしました。

2024(令和6)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第152回~第163回

 第152回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/1/21  「もう、夕方だ」「ああ、土曜日になった」「あれ、今月も終わってしまう」「ああ、春も暮れていく」…。身の回りに、いつも時の過ぎゆくことをぼやいている人はいませんか。こういう人の口癖は「まあ、いいか」だそう。自らが楽しみを見つけようとしていないということに気づいていないのでしょう。  数年前、ご近所の一人暮らしの方が実家の近くに越されました。電話で話をすると「バス停やコンビニまで歩いて30分、買い物でさえも姪に車を出してもらわねば行くことができない。この地に閉じ込められて一生を終えるのか」と嘆いていらっしゃいました。  最近お電話でお話しましたが、弾んだ声で「今が一番幸せ」と仰います。通っている病院の先生から教室を紹介され、昔から習っていた民謡のみならず書道と水泳の教室にも通っているとか。民謡の先生は、三味線も教えてくれることになった上、車での送り迎えも、なんとお菓子やお食事まで用意してくれているそうです。「周りからは図々しいと言われるけれど甘えちゃってるの」とキュートです。さらに「実はプールで一番派手な水着を着ているのよ」とのこと。  人間には「教育(今日行く所)と教養(今日の用事)」が大切だと言われます。「木曜日には書道教室、ついでにお買い物」、「来週は…」「来月は…」、行く先に連なる「楽しみ」が「生きる力」を供給し続けてくれるのです。  自らが作っている枠から「エイッ」と一歩外へへ出てみると、そこに楽しみがあるかもしれません。 ********************* 第153回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/2/21  みなさまご存知の正岡子規。号の「子規」は「ホトトギス」とも読みます。結核に罹患し吐血した自分自身を、口の中が赤いため「鳴いて血を吐く」と言われるホトトギスに重ねて名を付けたそうです。  子規は、「花鳥風月」という美意識や技法にとらわれず「写生」という理論を掲げ、作者のまなざしや実感を重視する詠み方を提唱しました。これにより表現の可能性が飛躍的に拡大したのです。  瓶にさす 藤の花房 短ければ 畳の上に 届かざりけり     子規  藤の花房が畳の上に届いているのかいないのか、よく見るとなんと届いていなかったのだ、という感懐が一首の眼目。「けり」は「気づき」の助...