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2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第173回

 第173回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/10/21  フランス人の友人ルネさん曰く「パリでは肩のいかつい男性が人を避けもしないで町を歩いているので気を付けなくてはならない」「パリの町はゴミが多くて汚い」「地下鉄では物を取られることがあるので絶対寝ることは出来ない」と。さらに、「日本はとても親切で綺麗、生活に慣れてくると地下鉄でもウトウト寝てしまいます。でもバリに帰ったら寝なくなるでしょう」とのこと。  成就院の近くにもホテルがたくさん建ち、外国人観光客が大勢歩いています。中には首からカメラを下げパチパチその辺りを撮っている姿も。果たして何を撮っているのでしょう。  SNSに外国人旅行者が投稿した写真がアップされてきました。何気なく開くと、そこには歩道橋の上から撮った道行く車、毛糸の赤い帽子をかぶっている小さな人形、整然と並べられた自転車置き場、家の前を彩る植木鉢の群れ…。私たちの身の回りにあるごくごくありふれた風景が切り取られています。  コメント欄には、 「日本最高」という言葉の後ろに「平和!」と記されていました。なんとそれに何百という「いいね」が。写真をアップした人のみならず、「いいね」を付けた人の中には、きっと普段は厳しい環境の街で生活する人もいるのでしょう。  私たちの暮らしには、もちろんしんどいこともいろいろあります。でも「平和」というキーワードを通して眺め返してみると、日常の当たり前の風景が、別の色合いに見えてくるにちがいありません。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第172回

 第172回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/9/21  群馬県の桐生市に、月に一度2時間のみ営業という「冥土喫茶」が誕生しました。といっても「メイド」には「冥土」の字が当てられます。冥土(メイド)さんの応募資格は、65歳以上で「喪え喪えキュン」ができることだそう。ちなみに「もえ」には「喪え」の字を当てます。  お店入口にある、模造紙に青のビニール紐を何本も敷きつめた「三途リバー」を越えると、フリフリエプロンとカチューシャを付けた冥土さんがお出迎え。「川を渡るときに足を滑らせると地獄に落ちてしまいますので気をつけてくださいね」と優しくアドバイス。冥土さんの胸には「ネネ」「デコ」「あんず」などの名札が。「これは何ですか」と尋ねらると、「戒名です」と答えるメイドさんもいるとか。  メニューは「冥土弁当」。地元産のお米を使用したおにぎりと、味噌汁、煮しめ、ドリンクバーがついて800円。体に良い食事で寿命が延びそうです。ドリンクバーには「血の池ジュース」と名付けられた「しそジュース」も。お水は「お清めの水」をと呼ぶそう。細部まで造り込まれていますね。  いよいよ配膳の時に、冥土さんが、手をハート形に丸めて「喪え喪え、キュン。おいしくなあれ」とおまじない。冥土さんもお客さんも、明るく楽しそうです。  役割が与えられ、居場所が出来て別人のように明るくなったという冥土さんがたくさんいるそう。私は、互いにアイデアを出し合い、もっと面白く「改良」されていくのが体感できることが元気の源なのではないかと思います。「躍動していると感じ」を得ることが瑞々しい心を育むのでしょう。一度訪問したいですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第171回

 第171回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/8/21  愛犬モモちゃんは家が大好き。私の机下にあるクッションに横たわり、日がな一日人を観察していました。しかしこの数ヶ月、昼は、自ら進んで玄関のひんやりした床にじっと寝そべっています。  夜は、在宅介護の母とモモちゃんと一緒の部屋で寝ていますが、深夜に何度か、ペチャベチャ音を立てて水を飲んだかと思うと、体をブルブル震わせたり、キーーとか細い声で鳴いたり、ノシノシ歩き回ったかと思うと、数度足の裏をペロリ、ぐっと我慢していると次には顔と頭をベロベロ攻撃です。完璧に起こしにかかってきます。なんともうすら眠い日々が続いています。たまりません。  イヌ友のベテランママに相談すると、「絶対、何か理由があるのよね。それって夜じゃないと自分がパパやママを独占できないということじゃないかしら」とのこと。  確かに母の在宅介護が始まり半年。家族の目が母に行ってしまったため寂しかったのでしょう。その日からギューッとロングだっこ。その間耳元で「かわいそうだったね。モモはいい子だよ」とささやきかけました。すると、体重をすべて預けうっとりとした目をしています。  自分の存在を、まるっと包まれ、大切にされているのだという感覚。自分はここにいて良いのだという安心。これが生きていく上でのベースなのですね。  「寂しさ」から、諸々の問題行動が生じてしまう。もちろん、それは人間も同様なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第170回

 第170回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/7/21  「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄さんが通っていたリハビリ病院でのこと。施設に入ると、明るい声で「今日も一緒に頑張りましょう」と利用者の方々にお声がけをされていたとか。みなさん、あこがれのスターと対面したうえ、直接励ましを受け、さぞリハビリに力が入ったことでしょう。素敵ですね。  母の在宅介護が始まって6ヶ月、言葉も少なく表情も乏しかった当初に比べ、力が戻り、切れある言葉を紡げるようになりました。ベッド上での生活ですが、明るい雰囲気で辺りを和ませています。  「顔色がいいですね」には「ほめたって何もでないよ」と、「お年はおいくつですか」には「86です。若く見えるでしょ」と。決して若くは見えません。  食事は、介護食や、煮こごり、ゼリーなど。だいぶ食べられるようにはなりました。食べるとき、「どうだ」「ああまずい」「こっちは」「もっとまずい」「これは」「今までで一番まずい」と顔をしかめます。  マッサージの時は「もちょと上」「もちょっと右」「ここなのか」「どこかよく分かんねーよ」と。 「桃栗三年。続きは何ですか」「柿…、続きは?」「柿の種」。なんか、ことわざ辞典にある気が致します。  ユーモアは自らに籠もりがちな時に人とつながる力を与えてくれます。介護スタッフの方も、だいぶ元気になったと喜んでくれています。ベッド上の生活でも役割を果たすことができるのですね。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第169回

 第169回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/6/21  数年前のこと、体調が悪いと寝ていた母に呼ばれると、「お腹がはれている」ので見てほしい、とのこと。寝間着をめくると、不自然なほど下腹が膨らんでいます。驚いて救急に問い合わせると「腹水がたまっているのでしょうが、救急車を呼ぶほどでもない」との回答がありました。  翌日、かかりつけ医に連れて行くと、開口一番看護師さんに「どうしてもっと早く連れてこないの!」と怒られました。帰宅してよくよく思い返せば、なんと数ヶ月前には診療を受けていたのです。  半年ほど前、いよいよ、在宅介護が始まろうという時、我が家に医療スタッフが集まり今後の対応を協議して下さいました。お医者さん、訪問看護師さん、ケアマネさん、言語療法士さん、リハビリの方など総勢8名。皆さん、対等に議論を重ねている姿が印象的でした。最後に担当医から一言、「これからみんなで福田さんを支えていくんですよ」と。とても心強く、涙が出そうになりました。  在宅介護がスタートしましたが、いろいろなミスもあります。何度か毎日9時の点滴交換をうっかり忘れてしまいました。チューブに空気が入ると看護師さんの手を煩わさねばなりません。不思議と日曜日が多い。電話をすると一時間後に、当番の看護師さんがご自宅から駆けつけてくれました。 申し訳なく沈んでいると、明るくからっとした声で、「気にしないで下さい。完璧な人なんていませんから。手助けするのが私たちの役割ですから」と。  困ったとき隣にいてくれる。顔を見るとホッと安心する。ありがたさをしみじみ感じる日々なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第168回

 第168回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/5/21  教員時代、生徒から「どうしたら成績が上がるのか」との質問が。私は「試験前、友だちに勉強を教えてあげるといいよ」とアドバイス。人に説明するには、内容をしっかり理解したうえ、要点をまとめ簡潔に説明するという作業が必要なので、自分の中で理解が深まり、定着が進むのです。  人生相談を読んでいたら「小学校1年生から5年生までの記憶が丸々ないのです。そんなことってあるのでしょうか」という質問が。先生の回答は「その間、家庭であなたの話を聞いてくれる人が誰もいなかったのですね」とのこと。なんと、自分は記憶力が弱いという訳ではなかった。  モグモグ食堂に毎月参加のS君、小学校低学年の頃は、食事中も食べ終わった後も、ママにその日にあった出来事を息つく暇もないほど話し続けていました。弟が割り込もうものなら、かぶせてさえぎりマシンガントーク。中学生になった今はすっかり寡黙に。でも、子供の頃の記憶は豊かに残っているのでしょう。  体験を人に話すとき、頭の中で出来事を時系列に並べ替え、エピソードを取捨選択しているのです。体験は人に話すことによって定着し「記憶」が形成されます。会話を重ねることにより、「記憶」がより立体的になっていく。さらに話しながら別の発想が紡がれることもあります。話すとは不思議な行為ですね。  今の「私」を形作っているものは過去の「記憶」です。自らを深めて行くには、家族や友とたくさん語らい良い「記憶」を積み重ねて行くことが大切なのです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第167回

 第167回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/4/21  4月8日は、釈尊のお誕生を祝う「花まつり」。成就院も門前に花御堂を出し、甘茶とお菓子の御接待を致します。この良き日に夫の供養にと巡礼に訪れたAさん。門前でいろいろお話しを伺いました。このご縁で、毎月毎月「やすらぎ修行会」、「モグモグ食堂」に参加頂くようになりました。  お料理上手なAさん、楽しくおしゃべりをしながら丁寧に料理を作って下さいます。まったく調理経験がないスタッフの「作品」をチラと見ると、小声で「思ったような物が出来あがらないのも大変ね」と労ってくれました。子供たちが流しにトレイを持ってくると、目線を下げ「よく食べてくれてありがとう。運んでくれて偉いね」と声を掛けてくれました。その後黙々とプレートを洗っている姿が印象的です。    コロナ禍に入り交流が途絶えてしまいましたが、6年ぶりにお電話があり、ご子息の車で来てくれました。現在要介護5で車椅子でないと外出はできないとのこと。成就院HPからプチ法話を読み、私の母親が在宅介護であることを知り、いてもたってもいられず来てくれたそうです。とにもかくにも、直接声を掛けたい。再会を喜んだ後、耳元で「体はだいじょうぶですか」と労って頂きました。「モグモグがほんとうに楽しかった」とも。大きな慈愛の光を注いで頂きました。  次々回6月の「やすらぎ修行会」は土曜日の実施。ご子息はお休み。ぜひ車で来て本堂の外からでも一緒にお参りしたい、明日からそれを目標に過ごしたいとのこと。こんなにお寺を大切に思ってくれている、住職をつとめてほんとうに良かったと思ったひとときでした。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第166回

 第166回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/3/21  早朝、近くの公園には、ラジオ体操をするため大勢の方が集まっています。掃除をしている方、筋トレに励んでいる方、おしゃべりしている方、それぞれが朝のひと時を思い思いに過ごしています。体操開始。軽快なリズムにのって体を動かしますが、中には、手を動かしているだけで、体を反ることも、腕を伸ばすこともされていない方が散見されます。これって果たして意味があるのか?  母がベットの上で暮らす生活になり半年以上。今は、週に一度ずつ、理学療法士、言語聴覚士の方が訪れてくれます。体を動かさない暮らしは筋肉が固まってしまう。グーパーや、肩や膝を曲げたり伸ばしたり。「痛い」という時もありますが、だいぶ曲がるようになりました。  言語聴覚士の方は、「ぱたぱたぱた」「たからたからたから」「ぱたからぱたからぱたから」と発声の訓練、そして歌をうたったり…。以前は口をすすいだ後、水をゴクンと飲んでしまいましたが、今は勢いよくペッと吐き出すことができるようになりました。声を出すことで喉の筋肉が鍛えられるのです。  それと「巻き爪」が痛いとも。巻き爪となる原因の一つに「歩かない」ことがあるそう。歩いていると体重がかかり爪が平らになるのだとか。歩かないと爪の本来のカタチに育っていき「巻き爪」に。  ご飯を食べて、出掛けて、おしゃべりを楽しむ。このごく当たり前の日々の振る舞いが、生命を維持していくためのシステムを支えている。私たちの体とは、実に精妙なるメカニズムによって成り立っているのですね。  公園に行って、ラジオ体操をし、おしゃべりを楽しむ、それこそ大切なこと。「意味があるのか?」なんて思ってしまい、たいへん失礼をいたしました。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第165回

 第165回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/2/21   昨年12月、いよいよ母の在宅介護が始まろうという時、看護師さんから教えて頂いた「介護の心得」。①睡眠をしっかりとる、②少しずつやる、③介護をひとりで抱え込まない、④介護だけの一日にならないようにする。「介護」の語を「仕事」に置き換えれば「日々を過ごす心得」になりますね。  介護が始まると、食事の介助、薬を飲ませる、歯磨きをする、マッサージ、おむつや点滴の交換などなどやるべきことが増えます。また、お医者さん、看護師さん、言語療法士、理学療法士、入浴サービスの方々ありがたいことに毎日のように誰かが状況改善のため手助けに訪れてくれます。  さて「介護だけの一日にならないようにする」には?妻は数年前から興味を持つようになった幕末史のYouTubeを作業がてら次から次へと視聴しています。ちょっとした時間を見つけては、江戸城、後楽園、上野寛永寺、小塚原刑場跡など幕末史跡巡り。筋トレ動画を見ては、毎日腹筋、背筋、腕立てを。ヨーグルトを食べ、破損した筋繊維の修復に努めています。新たな事にチャレンジ!  私は、13年続けてきた、気仙三十三観音霊場徒歩巡礼の今までを、「エッセイ」という形で地元の方にお伝えしたいと執筆開始。一月半で1200字の原稿25本を書き上げ、いよいよ地元誌「東海新報」誌上での連載が始まりました。  昔から「忙中閑あり」といいます。綿々とやるべきことが連なっている日常ですが、心を向けて目をこらすと、ポッカリと「すきま時間」が見つかることもある。ささやかな楽しみを掘り起こし、自らの生涯に彩り加えていきたいものです。

2025(令和7)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第164回

第164回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/1/21  学生の頃、高山病になり意識不明、ヘリで病院に搬送・入院したことがありました。真夜中、隣の人がブザーで看護師さんを呼び出すと「薬をまだ飲んでないんだよ。お前じゃだめだ!医者を呼んでこい」と切れています。看護師さんは、「お薬はちゃんと飲んでいますよ」「ごめんね」と何度も謝っています。私は理不尽な態度にイライラ。また、どうして「ごめんね」と謝るのか分かりませんでした。  我が家でも母の「在宅介護」が始まりました。数ヶ月入院していましたが、人と話すことも少なく、天井ばかりを見ている毎日、見舞いに行っても言葉が少なくなり、反応もか弱くなっていきました。  家に帰っての暮らしでは、ベッドの角度を上げると「痛い」、おかゆに薬を混ぜて飲ませると「甘くてまずい」、マッサージをすると「苦しい」など。マイナスの感情が言葉になって放たれます。  そんな時、どんな言葉を返すのか。「ごめんね」「どう痛いか分かってあげられなくて」、「ありがとう」「おいしくないのに食べてくれて」、「苦しいね」「どう苦しいの」。  まず、高ぶった心を鎮めること。「ごめんね」「ありがとう」はいったん相手の心を受け止める言葉。あなたのしんどい今に寄り添いますよ、という意味なのですね。この言葉を仲立ちに会話が紡がれていくのです。言葉が交わされ心が動くことにより、少しずつ心が柔らかになり、生きる力が湧いてきたように思えます。「食卓に行きたい」「本堂でお参りしたい」など。へらず口もだいぶ復活しました。いつくしみは智慧が溶け込んでこそ、発動するものなのですね。  数十年前のモヤモヤした疑念に、ようやく言葉が与えられ、スッキリいたしました。

2024(令和6)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第152回~第163回

 第152回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/1/21  「もう、夕方だ」「ああ、土曜日になった」「あれ、今月も終わってしまう」「ああ、春も暮れていく」…。身の回りに、いつも時の過ぎゆくことをぼやいている人はいませんか。こういう人の口癖は「まあ、いいか」だそう。自らが楽しみを見つけようとしていないということに気づいていないのでしょう。  数年前、ご近所の一人暮らしの方が実家の近くに越されました。電話で話をすると「バス停やコンビニまで歩いて30分、買い物でさえも姪に車を出してもらわねば行くことができない。この地に閉じ込められて一生を終えるのか」と嘆いていらっしゃいました。  最近お電話でお話しましたが、弾んだ声で「今が一番幸せ」と仰います。通っている病院の先生から教室を紹介され、昔から習っていた民謡のみならず書道と水泳の教室にも通っているとか。民謡の先生は、三味線も教えてくれることになった上、車での送り迎えも、なんとお菓子やお食事まで用意してくれているそうです。「周りからは図々しいと言われるけれど甘えちゃってるの」とキュートです。さらに「実はプールで一番派手な水着を着ているのよ」とのこと。  人間には「教育(今日行く所)と教養(今日の用事)」が大切だと言われます。「木曜日には書道教室、ついでにお買い物」、「来週は…」「来月は…」、行く先に連なる「楽しみ」が「生きる力」を供給し続けてくれるのです。  自らが作っている枠から「エイッ」と一歩外へへ出てみると、そこに楽しみがあるかもしれません。 ********************* 第153回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/2/21  みなさまご存知の正岡子規。号の「子規」は「ホトトギス」とも読みます。結核に罹患し吐血した自分自身を、口の中が赤いため「鳴いて血を吐く」と言われるホトトギスに重ねて名を付けたそうです。  子規は、「花鳥風月」という美意識や技法にとらわれず「写生」という理論を掲げ、作者のまなざしや実感を重視する詠み方を提唱しました。これにより表現の可能性が飛躍的に拡大したのです。  瓶にさす 藤の花房 短ければ 畳の上に 届かざりけり     子規  藤の花房が畳の上に届いているのかいないのか、よく見るとなんと届いていなかったのだ、という感懐が一首の眼目。「けり」は「気づき」の助...

2023(令和5)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第140回~第151回

 第140回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/1/21  津波で大きな被害を受けた陸前高田の街は、15メートルのかさ上げがなされ、その上にスーパーや飲食店がまずでき、図書館、市役所、市民ホール、博物館などの公共施設が建ち、街としての機能も復旧しました。しかしある方は、は「一年後には一年後の、三年後には三年後の、十年後には十年後の『悲しみ』がある」と仰っていました。世界は整えども、悲しみは消えることはない。  地元の方と共にお参りする「気仙三十三観音霊場徒歩巡礼」も10年を重ねました。コロナ禍の中、一昨年は中止、昨年は、地元の方々による運営とし、東京に住まう私どもは、リモートにて巡礼に参加しました。23名の参加。  お堂の階段にスマホを立てかけてライン電話で気仙と東京を繋ぐと、画面にはおなじみの皆さんの姿が映ります。そして、お経をお唱えしている声、風の音、鳥の鳴き声も聞こえてきます。一緒にお参りをしている感覚を共有できました。スイッチをオフにするといつもの成就院本堂、不思議です。  ライン電話のテスト、経本の配布をしてくれた方、準備体操をリードしてくれた方、「新型コロナウイルス感染拡大防止接触者確認用」用紙を作成、チェックして下さった方、サポートカーを出して下さった方、観音様ラベルの地酒「酔仙」を注文したくれた方、音声・音楽入りの巡礼動画をFBにアップして下さった方、共にお勤め頂いたご住職…。気仙に伺えないというビンチを助けて頂きました。  気仙の方とともに歩んでいこうという想いひとつで、活動を重ねて参りました。多くの方々の心が観音様に向かい、自らの思いで関わって頂けるようになりました。活動に「広がり」と「厚み」が備わってきたように思います。来春も、いかねば!とそわそわしております。 ********************* 第141回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/2/21  お盆の時期に山谷のど真ん中、玉姫公園を会場として「山谷夏まつり」が行われます。いつもはガランとしていますが、この日ばかりは大勢の人で賑わっています。  入口では、アルミ缶の買い取りを行っています。市場価格より高値で買い取り、そのお金でこの日を楽しんでもらおうという心配り。屋台がたくさんでており、煮込みやフランクフルトお好み焼きなどなど。厚焼き玉子を器用に焼いているおじさんは...

2022(令和4)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第128回~第139回

 第128回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/1/21   正月に行っている山岳部OB諸君との新年会、ばててしまい荷物を皆に持ってもらったことや米がうまく炊けないと顧問(私)が食べようとしなかったこと、大雨の中じゃけんに負けて水汲みに行かされたことなどなど、いつもの話題で盛り上がります。記憶を共有する仲間との語らいは楽しいですね。  テレビで「記憶を無くした人」のインタビューを聴きました。彼は交通事故に遭い生死の境を彷徨いましたが、奇跡の生還を遂げます。しかし、過去の記憶をほぼなくしてしまいった。両親の顔も名前も覚えていない。訪れた友人が語る昔話は自分が記憶を失ったということを改めて認識され辛かったそうです。記憶とは今の自分を形作っているもの。自分が解体し苦しい思いを抱いていたでしょう。  加えて、新たな記憶も覚えにくくなってしまいました。すぐに鮮明な記憶は無くなり、「ぼんやりとした感じ」を覚えているだけだそうです。彼は事故前から交際していた彼女と結ばれお子さんを授かり暮らしています。奥様は「事故の時は命だけは助けて欲しいとお願いしたので、それ以上は欲張らない。生きていてくれさえいれば…」と仰いました。  彼は「記憶」を「記録」することによって「自分」を形作っていこうと試みました。子供たちといるときはどこでもビデオを回し、写真を撮ってアルバムを作ります。毎日「日記」を付けその日の出来事を文字に書き記します。何日か経って「ぼんやりとした感じ」になった「記憶」をたびたび文字や映像で学習し定着させる。それでも「記憶」は薄れていきますが「楽しい」「やさしい」イメージは残るそうです。  一日一日、一瞬一瞬の愛おしさ、大切さ。私たちも見習うところが多いですね。 ********************** 第129回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/2/21  終末期医療とは、「治療方針を決める際に、患者はそう遠くない時期に死に至るであろうことに配慮する」という時期に行われる医療・ケアと定義されています。  終末期医療の病棟を担当する管理栄養士・大谷幸子さんは、患者さんの要望に合った食事ー「リクエスト食」ーを週に一度提供したいと考えました。程なく最期が訪れるであろう患者の方に対し、「生きる望み」「生きる喜び」を感じてもらいたい。  ある方は「バッテラ」...

2021(令和3)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第116回~第127回

 第116回「やすらぎ修行会」プチ法話 2021/1/21  高校教員を10年前に退職し、住職となりました。退職した当時を思い起こすと、多忙な日々から、突然何をして良いやら分からない、「のっぺりした日常」のただ中に投げ出され、自分という輪郭が溶解してしまうような不安のただ中を生きていました。  コロナによる巣ごもり生活もだいぶ長くなりましたね。心細く不安な日々を過ごされている方が多いことと思います。その思いは、教員を辞めたあの時の私の思いと重なるところがあるかもしれません。  閉塞的な時間・空間を生き抜く智恵を宇宙飛行士に聞いてみましょう。長い期間、逃れることのできない狭い空間で生活しなくてはならないのですから。  宇宙での生活で大切なこととは、まず「日課」を作ることだそうです。その日に行うべきことを決め、それを淡々と重ねて行く。そして、それを一週間、一ヶ月と広げていく。いつ終わるか分からない時の中で、予想通りになる確かなことを作り出していく、それが自らの拠り所となるということなのでしょう。時の流れに刻みを入れることで、私が生きているという実感を確認することができるのでしょう。  新聞記事(2011/1/17)にあった、「コロナ禍で始めたこと」の5位には、「行動記録をつける」こととありました。これは今日一日の「わたし」を振り返り確認するという行為なのです。  「日課」を考えるとき、新たなチャレンジを組み入れてはいかがでしょうか。数年後の種まきになるに違いありません。なんとか、暗い心をいなしこなして過ごしていきましょう。 *********************** 第117回「やすらぎ修行会」プチ法話 2021/2/21 ぬれながら 我が身にしみる 冬の雨 るてん旅 汚れ汚れて 身をせめる えさ取りも 楽じゃないぞえ 賞味切れ   路上文芸総合雑誌『露宿』 「路上いろは歌留多」より  作者の風来坊さんは、その日に起きた出来事を句に表し書きため、「路上いろは歌留多」を作りあげました。来し方への思いや、路上でのままならぬ暮らしをさらりと歌い上げています。心にストレートに刺さっていく言葉の塊ですね。  この「歌留多」は段ボールに書き記されていたそうですが、是非全部読ませてほしいとお願いすると、紙にきれいに書き改めて渡してくれとのこと。その時、...

2020(令和2)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第105回~第115回

 第105回「やすらぎ修行会」プチ法話 2020/1/21      毎年二月、お味噌作りの会を行っています。前日に大豆を水に漬けてふやかし、朝から5時間ほど煮ると指でつぶせる程度の柔らかさになります。潰した大豆を塩切り麹と混ぜ混ぜし、瓶に仕込めばできあがり。冬になるまで熟成させるととても美味しいお味噌に。種も仕掛けもありません。  毎朝味噌汁を飲む度に、「うまいっ」と感動し、「ああ、豊かな食事だ」と心の中で呟きます。以前、味噌汁は漫然と飲むものでしたが、今は「小さな幸せ」を感じさせてくれる大切なものとなりました。みんなの愛情が込められた味噌を日々味わえるのは、「なんという豊かさだ」と思いませんか。  味噌造りには麹が大切。当初はスーパーで売っている「板麹」を使用しましたが、「生麹」というものもあると聞きました。ただし一週間で麹が死んでしまうとか。「生麹」にして風味がぐっと増しました。また、米麹でなく麦麹もある。麦味噌は、いつもよりやさしい味わい。それに米麹と麦麹のミックスもある。大豆も替えれば、組み合わせは無限ですね。今は「一年熟成」の茶色の味噌を食べてます。  初めは、友人たちと作りましたが、今は、ボランティア仲間や檀家の方々、モグモグ食堂に来てくれる子たちなど3回作っています。秋には一品持ち寄りで「お味噌お披露目」会という名の忘年会を。オカリナを習っているという人が先導し、みんなで歌を歌ったこともあります。楽しいですね。  お味噌など、どこにでも売っているもの。でも自ら味噌作りをすることで、生活に「深まり」や「広がり」がもたらされました。「小さな幸せ」とは、何気なく足下に転がっているものなのでありましょう。ちょっと辺りを見回せば楽しいことが見つかるかもしれのせん。 ********************** 第106回「やすらぎ修行会」プチ法話 2020/2/21    小学校3年のある日、給食当番がバケツに入ったキャベツを取り忘れてしまいました。そこで昼休み教室にいた者が食べることに。私も列に並び、両手に山盛りのキャベツをそのまま食べました。キャベツの風味が口いっぱいに広がりとてもおいしかった。あれからキャベツが大好きになりました。  キャベツの花を見たことがありますか。収穫時期を過ぎた後、茎が伸び、菜の花に似た黄色い花を咲かせます。我々が食べるキ...

2019(平成31)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第93回~第104回

 第九十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2019/1/21       ヨガの先生に、なぜヨガを行うのか尋ねたところ、「活力ある心と体を得るためです」と、予想通りの答えです。でも加えて「元気な心体とは、困難を抱えた方を手助けするためにあるのです」と仰った。  正月の成田山に行って参りました。大本堂はいっぱいの人。みなさん、「身体健全」「商売繁盛」など所願成就を胸にお参りに来られているのでしょう。確かに、一年を健康に過ごすこと、商売が盛んになることは、生活の基盤でありとても大切なことです。でもお不動様から頂いたご功徳を、自らが享受するのにとどまらず、周囲の人に、またしんどい思いをしている人に振り分ける。  『華厳経』には「インドラの網」が記されます。インドラ(帝釈天)の宮殿には大きな網がめぐらされており、そのすべての結び目には色の異なる宝石がついています。その宝石は自ら光ることができず、近くの8つの宝石から光をもらってそれぞれの色で光っている。遙か遠い宝石からも極々少ないけれど光をもらっている。これは、与え合い響き合う、人と人とのつながりを表す比喩でもあります。  「勤行式」最後の言葉は、「願わくはこの功徳を以て、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」、「普回向」といいます。経を読誦して得たご功徳を、自らだけでなく、普く一切の存在に振り分ける。この教えは、仏教を貫道する太い柱です。  私たち一人一人はささやかなことしかできない。でもそれは誰かとどこかと繋がり、何らかの影響を与えあっている。自分にできることを無理せずに重ねて参りましょう。微力は無力ではありません。 *********************** 第九十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2019/2/21        知り合いのヘルパーさんがお世話をする「利用者様」は、食事を出すと「本当に、まずいわね。でもあなたのために食べてあげるわ」と仰るそうですし、一度部屋の扉を外して投げつけられたこともあるとか。すごい力ですね。その時その方はこう思うそうです。「ああ、私は今、ためされている」と。  8年前、初めて山谷の炊き出しに参加したのときのこと。4時からお米を炊き、200個のジャンボおにぎりを作り、法要をした後、それぞれの頭陀袋におにぎり10個を入れ、皆で「いろは商...

2018(平成30)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第81回~第92回

 第八十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/1/21  お檀家さんで毎月熱海から電動車椅子に乗ってお参りに来る方がいらっしゃいます。その方は、10年ほど前に脳梗塞になり、左半身が不随となりました。リハビリに励みましたが、お医者さんから「絶対元どおりにはならない」と宣告された。なかなか現実を受け入れることが出来ず、それまで、ダイビングに旅行にと活動的に過ごしていましたが、ついつい引きこもりがちになってしまいました。  ある時、出来ないことは人にお願いしようと思い切り、食事はヘルパーさんに任せ、買い物はアマゾンで、車椅子を収納できるリフト付きの車を購入し出かけることができるようにしました。活動範囲がぐっと広がり、心も軽やかになりました。昨秋は独りで北海道旅行に行き周囲を驚かせました。  北原佐和子さんは、ある雨の日、車の中から体の不自由な方が傘をきちんとさすことも出来ずにいるのを見て、送って差し上げたいとお声掛けをしたそうです。その方は、介助は不要と、ドアに手を掛けシートに手を添えて体を支え、ゆっくりと車に乗られた。家に着いた時も、玄関脇にある金網を両手で掴んで体勢を整え、そしてゆっくり中に入って行かれた。  その姿を見て北原さんは、「今まで自分の足で立っていなかった」と思ったそうです。アイドルとしてデビューしてから、周囲の人が日々の環境を整えてくれた…。対してその方は力の限り尽くして生きていらっしゃる。その気づきが、介護の仕事へと導いてくれたとそうです。今は女優と介護の仕事と二足のわらじで頑張っていらっしゃいます。  自らの足で立っている方は、その姿で、私たちに「学び」の機会を与えて下さっているのですね。 *********************** 第八十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2018/2/21    「一時保護所」にお勤めの方が、モグモグ食堂に来てくれました。子供の脇にそっと座ると、魚の骨を取ってあげたりと食事の世話をしてくれます。ごく自然なふるまいで感心しました。「一時保護所」とは、虐待や育児放棄など、社会的養護を必要としている子供を緊急的に預かる施設です。  施設で暮らす子供の中には、七歳というのに平仮名が読めない子がいるそうです。でもマクドナルドのメニューは読める。マクドナルドで食事を取るのが常なので必然的にメニューが読めるようにな...

2017(平成29)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第69回~第80回

 第六十九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/1/21   福島原発水素爆発の映像を覚えていますか。白煙がもうもうと立ち上っているもの、建屋が吹き飛ばされ鉄骨がむき出しになったもの…。それらを眼にしたとき、ああ、私の未来も閉じられてしまったと観念しました。悲しく、空しく、やるせなく、心にぽっかりと穴が空いてしまいました。これを見てみたい、あれを読んでみたいという希みが、日常を支え自分を牽引してくれていたことに気付きました。  「朝日新聞」(2017/1/5)に西口洋平さんの記事が掲載されました。彼は娘のランドセルが届いた頃、がんに罹患しステージ4であることを告知されます。仕事を続けられるのか、娘にはどう伝えるのか…悩みはつきません。相談できる人がいないことに困った西口さんは、患者の交流サイトを立ち上げます。ガンの種類、ステージ、子の年代など自分と似た境遇の患者を探すことができる。  抗ガン剤が効いて今は元気に暮らしているとのこと。医師から「今、元気なら3ヶ月は生きられる」と言われ、すべてを3ヶ月単位で考えるようになったそうです。このひと日を懸命に生きるというのは、毎日がとてもシンプルになり楽しいと記されています。  大船渡屋台村で飲食店を営む森さんはこうおっしゃいました。「こうして生きている私たちは津波で亡くなった人の分まで生きなくちゃ」と。森さんの口癖は「おかげさま」。「天使の森ブログ」にはお店の献立などとともに励ましの言葉が綴られます。「ガスもある、水も出る、米もある、店もある、見渡せば幸せだらけ❕幸せだなって小さなことでも思うと幸せの連打に参っちゃうよ」と。  死の淵をのぞき込んだ人は、腹がどっしり据わっていますね。最後に森さんのブログから。「今日も一日生きてること感謝して楽しい一日を創りましょう。すべてはうまくいっている!!」 ********************** 第七十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/2/21     保護犬を譲渡してくれるNPOに行ったときのこと。工業団地の中にあるその施設に入ると、ワンワンと吠え声の洪水でした。飛びかからんばかりに吠えている犬、後ずさりしながら吠えている犬…。憎しみや哀しみをたたえたまなざしを向けられ、一歩ひるんだことを思い出します。  カリスマ・ドックトレーナーの映像を見ました。飼...

2016(平成28)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第57回~第68回

 第五十七回「やすらぎ修行会」プチ法話 2016/01/21   ゴリラと人間とでは、DNAが1.75%、チンバンジーとでは2%しか違わないという研究があるそうです。驚きですね。それでは、人間とゴリラ・チンパンジーとの決定的な違いとは何か?霊長類学者・山極壽一さんは、「待つこと」が人間らしさであるとお話しになりました。   ゴリラなどは、獲物を捕ったとき、その場で肉を食べてしまいます。すべてを独り占めできるから当然といえば当然です。しかし、人間はそこで食べるのを「待って」、仲間と共に食べることを選択しました。取り分はぐっと減ってしまうのになぜそうするのか。きっと仲間の笑顔や皆が自分を讃えてくれたことを喜びと感じたからなのでしょう。  「待つこと」とは、現在の価値を未来の成果につなげていくこと。ゴリラやチンパンジーは、失敗すると無駄だとすぐあきらめてしまう。しかし、人間は失敗してもあきらめずに何度でもチャレンジする。その力が新たな技術、要するに進歩をもたらしたのです。  ところが今の時代は、「待つこと」ができず、すぐにあきらめてしまう風潮がはびこっています。会社では即戦力が求められ、日々の仕事では短いスパンの中で成果を出さねばなりません。そうすると、なりふりかまわず「成果」をあげるか、ミス無くそつなくやり過ごし続けるということになるのでしょう。もちろん、空気はよどみますよね。  若者の成長を見守ることができにくく、若者もまた苦労の後に達成感を味わうことができにくい社会。私たちは、「待つこと」という最も人間らしい部分を手放しつつあるのに違いありません。 *********************** 第五十八回「やすらぎ修行会」プチ法話 2016/02/21   人を困難な状況に陥れてしまう条件に、Hungry Angry Lonry Tiredがあるそうです。頭文字を取って「HALT」。空腹、怒り、孤独、疲労は、絡み合ってより困難な状況を作り出していきます。   過日、日本における子供の「相対的貧困率」が16.3%、6人に一人が「貧困」に該当し、先進国で最悪レベルと報じられました。豊かといわれる日本で…と思われた方が多いと思います。  池袋で「子ども食堂」を運営している栗林さんとお話する機会がありました。中学生の学習支援をしていたところ、その子は普段...

2015(平成27)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第45回~第56回

 第四十五回「やすらぎ修行会」プチ法話 2015/01/20   午後9時の都営三田線には、一車両に36人が乗車していました。そのうち、読書をしている人2人、話している人3人、寝ている人2人、その他はうつむきがちにスマホに向かっていました。多くは盛んに指を動かしています。メールをしているのでしょう。改めて見やると異様な光景だと感じました。  高校教員のときは山岳部の顧問でした。山中は電波状況が悪く、なかなかつながりませんが、あるポイントで突然つながりドッとメールが入ってきます。部員は一本取る度にケイタイを見ていました。「お前は何件メール来てる?」交友関係の広さが受信メールの件数で数値化されていました。  ある知人が「私には1000人の友人がいます」と言いました。どうもこれはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略)で繋がっている人が1000人いるという意味のようです。天声人語に記されていましたが、人間の脳のキャパシティーでは150人と繋がるのが限界とか。その人が言うところの「友人」とは果たして誰を指しているのでしょうか。  インターネットにより人と人との間に網が張り巡られ、見ず知らずの人ともすぐにつながることができる。驚きです。でもそれは、すぐにつながりを切ることもできるということ。私たちは、見知らぬ同志とすぐつながることができる悦びと、いつ切られるかも知れぬという不安を合わせて抱え持つことになりました。若者はすぐにメールを返せるよう、寝るときは枕元にスマホを置いて寝るそうです。                                                                  科学技術の発達に人間が追いつけない側面がますます露呈してきたのでしょう。人との繋がりをより強く太くしていくのは泥臭い交流の積み重ねです。良縁はそう簡単には結べません。 ************************ 第...

2014(平成26)年「やすらぎ修行会」プチ法話 第33回~第44回

 第三十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2014/1/21  「新人類」「失われた世代」「ゆとり世代」「さとり世代」、それぞれの世代の特徴をつかんだ呼称を耳にします。みなさんは何歳くらいがそれぞれの「世代」に該当するのか分かりますか。  それぞれの呼称に共通する要素は、若者に対する批判的なニュアンスです。それは、若者に対する、わかりにくさ・違和感によるものでしょう。  エジプトの遺跡より発掘された、今から4,000年前の役人の書簡には、「此頃の若い者は才知にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするは嘆かわしいことだ…」と記されているそうです。(柳田国男『昔男と当世風』からの引用)   世間の人が、若い世代の人たちに抱く違和感は、遠く4,000年も前から綿々と続いてきたもののようです。若い世代も齢を重ねると、今度は批判する側へと身を置くようになる。考えてみれば、若者がどんどん愚かしくなって行くのであれば、社会は悪化するに決まっていますが、必ずしもそうなってはいないようです。  私たちの世代にも問題だ思われる人はいますが、ひとりひとりの顔を思い浮かべれば、みな個性的な方々ばかり。定型的な判断に身をゆだね、相手を批評する立場に身を置くという態度は、そのものに向き合い、そして自ら考えるという行為を放棄していることに他なりません。  このような態度は、「世代」についてだけではなく、身の回りに充ち満ちています。相手を批判するとき、ちょっと一歩立ち止まって考えましょう。 ********************** 第三十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2014/2/21   「受援力(じゅえんりょく)」という言葉を知っていますか。ボランティアを地域で受け入れる環境・知恵など、「支援を受ける力」の意味だそうです。  東日本大震災の時も、仮設住宅に衣・食またイベントの実施などの様々な支援が入りましたが、毎日のように団体が訪れたところと、そうでないところとの「格差」が甚だしかったことを見聞きしました。まさに「受援力」の差によるものでした。せっかく訪れても人がまったく集まらないのでは、がっかりしてしまいますよね。支援活動は、「~させていただきたいのですが」という送り手の思いと、「ありがとうございます」という受け手の思い、双方が合わ...